naoyai逝去者記念礼拝
naoyaiがこの世を去って1年。5月4日、いわゆる一周忌を迎えた。
連休中の4日、逝去者記念の礼拝と墓参が弘前昇天教会で行われた。
from shinyai
僕は東京を2日深夜に出発し、渋滞・眠気と戦いながら、3日の午後に弘前までたどり着いた。
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naoyaiがこの世を去って1年。5月4日、いわゆる一周忌を迎えた。
連休中の4日、逝去者記念の礼拝と墓参が弘前昇天教会で行われた。
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僕は東京を2日深夜に出発し、渋滞・眠気と戦いながら、3日の午後に弘前までたどり着いた。
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今日2月23日は、昨年この世を去った、弟naoyaiの誕生日だ。
彼の誕生日は、いずれ天皇誕生日として祝日になる予定だった。いや、自ら自分の誕生日が祝日になった日をこの世で体験できなかっただけで、彼の誕生日はいずれ祝日になるのであろう。
33歳の誕生日をこの世で迎えることのできなかった弟に対して、僕は何かを言ってやりたいのだが、うまい言葉は見つからない。僕が彼の代わりを生きることは不可能だが、彼の生きた足跡を覚え、彼と交わりのあった人々とのつながりを絶やさずに、生きていく。それぐらいしか、いえることもできることもない。僕が彼から引き継いだものは、まだ何の形にはなっていないけれども、その後の僕の生き方に、少なくない影響を与えはじめているとは思う。
悲しみの淵から僕らが完全に立ち直るには、まだまだ長い時間が必要だと思うけれども、弟夫婦、両親、妹たち、みんなそろって平和にすごしてきたこれまでの時間を思い、それだけの時間を与えてもらったことを感謝して、家族それぞれが前に進んでいくべきなのだろう。
弟がうまれ、僕らが4人家族になった、1975年の今日を覚えて。
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弟の残した大量のCDは、ほとんどが濃い目のメタル系(詳しい分類はよくわからない)なので、遺品とはいえ両親は聴く気になれず、結局実家でほこりをかぶっている。今回弟の高校時代の友人が訪ねてきてくれて、何か「掘り出し物」がないか二人で探した。結局僕は、一枚だけFoo FightersのCDを見つけたので、聴きはじめている。
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新潟で一泊し、今日は東京へ移動。徐々にこのスタイルに体を慣らしていきたいが、荷物を減らせない性分は何とかならないものか。いま新幹線に乗り込んだが、すでに汗だくだ。
スタディツアーの間はいろいろと忙しく、フィードがたまりまくっていて気がつかなかったが、上の妹が埋葬のときの感想をこんな風に書いていた。
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昨日、青森県弘前市で、僕の弟、naoyai、n#こと一戸直哉が埋葬された。台風は北海道に抜け、弘前には見事な青空が広がった。
落合の火葬場で見た彼の肉体は、たしかに昨日、津軽の土に還った。さまざまなドラマ、さまざまな思いを重ねた弟の人生は、5月に終わりを告げ、そしてその魂が世にあるための肉体もまた、昨日、「自然」に、土に還っていった。生きた年月が長かろうと短かろうと、楽天的だろうと悲観的だろうと、成功しようと失敗しようと、結局僕らは最後土に還るために走り続けているにすぎない。あらためてそのことを確認した。そして、彼がもうこの世にいないということを受け入れるためのプロセスが、また一つ終わった。もちろん、今後も長期間にわたり、繰り返し確認作業を行わなければ、実感など持てるはずもない。
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弟naoyaiに関する本ブログアクセスログを分析してみた。
今回も明るい内容ではない。
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(投稿後、タイトルを変更)
明日から弘前の実家に戻り、5月に亡くなった弟の埋葬を行う。
いろいろと思案した結果、弘前の墓地には新しい墓石が立てられ、弟は独立墓で眠ることになる。
が、台風が迫ってきている。無事弘前で皆さんに集まっていただけるかどうか。ここもまた、「おさわがせ」好きな弟の意思が働いているような気もする。
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妹が初盆と精霊流しについて書いていた。
僕もテレビを見て、妹と同じように弟のことを思いつつ、生まれて初めて、精霊流しの意義を知った。
リンク: 手先・口先 : 魂を送る日.
ニュースで長崎の精霊流しの映像を流していたところを見ると、8/15はお盆に帰ってきていた先祖の霊を、再び彼岸に送り出す日だったらしい。
精霊流しが、初盆を迎えた故人のための祭事だというのも、そのニュースで初めて知った。なるほど、だから「♪去年のあなたの思い出が…」となるのか。日本の慣習に従うなら、今年は兄の初盆だった。
何の実感もない。兄は今でも赤坂で元気に働いているんじゃないか?
そうだったらどんなに良いだろう。
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5月19日のブログ ICHINOHE Blog: 「しあわせの理由」の感想:Tsuyuguchi版.で言及した、「蒼天航路」が、弟の奥さんから送られてくることになった。Tsuyuguchiさんはこんな風に書いている。
n# が自信のブログにこの本を紹介したときの想いを考えるにあたって、もう一つヒントになると思われるのが、ちょうど入院した頃に僕と「蒼天航路で曹操が頭痛 がなくなって『なんとなー』と感動するシーンがあるんだけど、たぶん僕もそうなるんじゃないかな」と話(もちろんメッセ)をしたというエピソード。
彼は「なんとなー」と感動することはできなかったわけで、そのシーンを読んだらまた、こみ上げるものがありそうだが。弘前ねぷたに親しんで育った僕ら兄弟は、三国志に対する思い入れをある種共有しているので、演義とは違う視点で書かれたこの作品を読むのは非常に楽しみだ。
ねぷた開催中の8月最初の週末に、弟の埋骨を弘前で行う予定だったが、ご参列くださる方々の宿の手配が難しいこともあり、もうちょっと先に伸びることになった。祭りのときの弘前は、「東京のnaoyai」と「弘前のnaoyai」、それぞれの中にある人物像を統合するのにも、最後のいい機会になるかなと思ったのだが。それはいつでも一緒かな。
茂木健一郎さんの本に、母親が死んだ数日後にその年初めての螢を見て小林秀雄は「おっかさんは、今螢に なっている」とふと思った、という話が、たびたび登場する。今年のねぷたを見て、まさか「弟はねぷたになった」とは思わないだろうが、一緒に見ているような気分にはなるかもしれない。この夏はやはり、ねぷたを見に帰ろうと思う。
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Tumblrは固定リンクの処理がイマイチだなあ。Mayu の頭の片隅.で、弟との仕事についてコメントがあった。
「雑感 - WEB 上の広告と CS は、本当にトレードオフなのだろうか。」
大昔、私がベンダとして naoyai さんに、ほんのちょっとの期間ではありましたが、ご一緒させていただいたときの事が、頭の中に蘇りました。
それは、私が上司のプロデューサさんと naoyai さんの間で困った状況に直面したときのことです。
その根本解決は難しいけれど、代替の案やヒントをポンをさりげなく、そしていとも簡単だと、涼しい顔をしながら置いてくださった、naoyai さんの姿です。
naoyai さんが聞いたら「えー大げさな (笑)」と笑われてしまうかもしれません。でもその経験は、今の仕事の礎を、自分の 3 年後、5 年後の姿を、漠としていた自分の願いを、頭の中で思い描くきっかけとなった出来事でした。
ほんの少しの間でも、naoyai さんとご一緒できたことを、嬉しく思っています。
そして、その機会を与えてくださった全ての方に感謝しています。
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mono-monologue.の akstさんが出版社に問い合わせてくれたおかげで、弟の声が掲載されている、1996年6月号の日経トレンディのカラーコピーを見ることができた。中央大学総合政策学部4年の一戸直武君として登場している。
写真は見切れてたりして。名前が間違えられて、本人はお怒りだったそうだ。
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金曜の夜、五反田のLinks Oyster Barに初めて行ってきた。弟直哉の奥さんに声をかけ、Tsuyugu夫妻も参加してくれた。Linksのことは、以下のリンクにあるとおり、弟から二年前に教えられたのだが、他の店のことも聞いたので、結局一度もこの店には行っていなかった。Tsuyugu夫妻は、Linksを弟夫婦から聞いたそうだ。
リンク: InTheSpiral: Links Oyster Bar (五反田).
リンク: ICHINOHE Blog: InTheSpiral: Links Oyster Bar (五反田).
弟と親交のあった人に弟の馴染みの店で会うっていうのは、今の僕にとって一番必要なことの一つであり、非常に有意義であった。とにかく彼の足あとを、一つでも多く集めておきたいし、似た顔をして彼の友人の前に現われることは、今から僕が彼にやってやるべきことの一つなんじゃないかという気すらしている。
ただ、後から考えると、彼の奥さんにはかえって申し訳ないことをしてしまったような気もしている。あの店には夫婦の思い出がたくさん詰まっているんだろうし、弟の不在を際立たせてしまったかも。
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弟の知り合いが、Mayu の頭の片隅.というサイトを、tumblrで始めたことも発見した。この方には面識が無いのだけれど、弟や僕のブログをdel.icio.usでブックマークしてくれていたことから、弟の知り合いの方であることがわかった。ブックマークしてくださった時期が最近なので、ひょっとするとお葬式の情報が伝わらなかったのかもしれない。
このように、彼の死をきっかけにいろいろ考えてくれた方を発見すると、彼の足跡がここにもまた残っていることを確認できたな、と慰められる。
そう、気づかされる永遠の別れがあったので、自分の事を、そして、自分という人間が確かにこの時代に生きたことを、やってきたことを、そして反省すべきところを、ちゃんとどこかで記さなくては、と思い、はじめた次第です。
僕も同じく、言い訳をせず、足跡をきちんと残し続けようと思う。
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2uさんが「地に足がついている日記 � 死んだ直哉に言いたいこと.」を書いたのを、モバTwitter経由でスーパーで読み、心がさわぎ、家で再度読んだ。
KeaneのEverybody's changingも聞いた。そして、iTunesでダウンロードし、何回もくり返し聞いている(Last FMのプレイリストにくり返し表示されてた)。実際にはこのエントリーに弟は登場せず、2uさんが弟のことをハードロックカフェで思いだして、店の中で涙を流してくれているのだけれど、「Everybody's changing and I don't feel the same」がくりかえしくりかえし心につきささり、涙が止まらない。彼が「I don't feel the same」の状態で、この世の僕らの出来事にキャッチアップしていてくれたらうれしいし、そう願っている。
2uさんたちにちゃんとお会いしたことはない(たぶん葬式でお会いしている)のだけれども、僕はお子さんの誕生が、実はひそかに待ち遠しい。「生まれ変わり」ではないのだけど、弟との連なりを持った人から生まれてくる、おそらく最初の子どもなのだから。
追記:この曲のPVにはConcept Cutというのがあるようで、肉親を亡くした人のインタビューをつないだものが冒頭に流れる。相当に泣ける。
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新潟空港に向かう途中、Ko君からブログにコメントがあった。彼の言うとおり、たしかに僕は一ヶ月たった今も、いまだに「亡くなった弟はどこに行ったのか?」という、考えても仕方の無いことを考え続けているような気がする。以前の僕だったら、まちがいなく非科学的だと斥けてしまっているし、今の自分の何割かも思っている。しかし、残りの何割かは、「どこかにいてもらわないと困る」と考えているわけだ。
病気の発覚からわずか一ヶ月弱で逝ってしまったことや、まだ若かったことが、そのような考えを持たせる原因になっているのだと思う。祖父母の死であれ、叔父の死であれ、あるいはその他の知り合いの死であれ、その人の魂がどこに行くのかは、常に考えさせられる問題なのだが、日常隠蔽されているこの疑問に対する執着の程度は、今回格別に高いのである。
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僕が大学を卒業したのが1993年。入れ替わりで弟naoyaiは中央大学総合政策学部に入学する。
92年の春ごろ、予備校の春期講習だったのだろうか、当時僕が住んでいた杉並のアパートに弟が宿泊していった。僕は弟の受験勉強のがんばりを、弟は僕の就職活動のがんばりを、別れ際に短く励ましあったような記憶がある。見通しの甘かった僕の就職活動は順調には進まず、結局すべての内定を断って、早稲田の大学院に進むことになる。その先がどうなるかはわからないけれども、早稲田の大学院なんだから、そのまま研究者として進んでいくことも難しくないだろうし、一般就職だってまだまだできるだろう、とまたまた楽観的な見通しのもと、早稲田から降りてきた蜘蛛の糸につかまることになった。
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週末、新潟-弘前を往復、弘前で両親や弟の奥さんに会ってきた。新しく買った複合機を使えるように設定するため、実家のコンピュータをいじっていたら、弟がしゃべっている映像を発見した。この映像が公開されたときに、母に知らせたのだそうだ。
リンク: MSN一戸さん: ガジェット - Windows Live.
自分の仕事ぶりについて、母に知らせようとしたわけだが、「『えーと』が多すぎる」というのが母のコメントだったため、たいそうご立腹だったそうだ。たしかに「えーと」は多い。そして、やっぱり話し方が自分に似てるなあ。
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弟のこと、しつこいですがときどき書きます。
(ところで、ログインできない故人のブログをインポートするのに、いいツールってないだろうか。バックアップをとっておきたいんだけど。)
ちょうど彼が死ぬ一年前、昨年の5月に、彼は、ユダの福音書に関するNational Geographicの記事を紹介している。
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なぜかNewsingに「 「お葬式は無駄」を信じてはいけない - [葬儀・お墓]All About.」がリストされていて、思わず読んでしまった。この記事の中では、葬儀を大事にすべき理由として、以下を挙げている。
- 現実を受け止める手助けをする
「ウソだ……」死を目の前にしたとき、誰もがそう思うことでしょう。儀式はこの出来事を現実のものとして受け止める手助けをします。感情的に受け止めるにはまだ時間がかかりますが、事実を確認することは悲しみを乗り越えるための第一段階として非常に大切なプロセスです。- 友人や家族が集まるチャンスを与える
集まった友人・知人は遺族の心の支えとなります。- 精神的な支えを得ることができる
宗教的な儀式を行うことによって、精神的な支えを得ることができます。- 故人の人生を振り返る助けとなる
故人と向き合い、過去の思い出を振り返ることができます。- 大きな変化・区切りを認識する
人間は、変化や区切りをつけるためにさまざまな儀式を行ってきました。儀式は次へのステップへの足がかりとなります。- 故人に対する気持ちを他人にわかってもらう機会を与える
故人に対する思いを発散できるチャンスでもります。
教会に対するリスペクトとして、「精神的な支えを得ることができる」のことにもふれるべきかもしれないが、今日は「故人の人生を振り返る助けとなる」と「友人や家族が集まるチャンスを与える」について。
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弟直哉のブログが最後に更新されてから、すでに一ヶ月が過ぎた。しかしいまだに実感はわかない。もともと離れて暮らしていたし、意識不明になってから病院に行った僕は、臨終の会話に相当するものも、なんら交わしていない。病院と葬儀までの出来事を思い出して、それが現実だということを、自分にいいきかせるより方法がない。子供の頃、くも膜下出血で急逝した祖父の「最後の言葉」はなんだったのか、家族で話題になったことがある。祖父は「頭が痛い」(の津軽弁)と言って、倒れ、そのまま病院で亡くなったという。「頭が痛い」が最後の言葉なのか、と僕はそれがすごく切なかったし、そのことを弟とも話したような気がする。
今回弟の最後の言葉がなんだったのか、僕は聞いていないが、たぶん「頭が痛い」か、別のたわいもない一言だったんじゃないかと思う。その一言を聞いていれば、それはそれで切ない気持ちになっていると思うが、事実をもう少し受け入れやすくなっていたかもしれない。
たぶん2004年に父の版画展.があったころだと思う。父の版画が老後の小遣い稼ぎぐらいになるよう、ネットで販売する方法を考えようという話をしていたことがある。父の作品は超ローカルな、中高年の津軽人のノスタルジーに訴えようという作品なので、東奥日報の広告欄を使うとか、僕は当時色々考えてみていた。弟もその可能性を否定しなかったが、一方で父自身がキャッチアップできないだろうという見通しを示した。「お父さんは、今の時代の時間の流れについていくつもりがないと思うよ。」と彼は言った。
そういいながら彼は、父にHPの写真専用プリンタをプレゼントしていた。実際父は今も、写真専用プリンタに、デジカメのデータが入ったSDカードを差し込んで、そのまま印刷している。父が「時代の流れ」についていくつもりがあるのかどうか、まだよくわからないが、それほど見通しは外れていなかったかもしれない。
彼がIT業界で感じていた、「時間の流れ」は、たしかに早いものだった。僕のはてなブックマークでも、彼が入院してからだけで200件以上ある。そのうち一週間以上が、病院と葬式で費やされているので、約20日でこの数字だ。彼がこの世で見ることの無かった新しいサービスも、いろいろ出てきている(当初Twitterを見ることなく、彼はこの世を去ったと思っていたが、ちゃんと4月中旬まで彼はTwitterを使っていた。でもたとえば、AboutmeやWired Visionについては知らないわけだ)。彼はその真っ只中にいて、10年間格闘しつづけた。
速い「時間の流れ」から抜け出した弟は、いきなり永遠に止まった時間に旅立った。誰しもいつかはそうなるのだ。でも、彼の止まってしまった「過去」をつづる一方で、今の時代の「時間の流れ」で、さまざまな事象について同時平行でブログを書いていると、彼が今そのギャップに戸惑っているのではないかとか、この先の時代に向けた次の挑戦ができなかったことや、時代に取り残されていってしまうことを、無念に思っているのではないかとか、いろいろ考えてしまう。
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上の妹も、mixiの外に出て、Blogに書くことにしたそうだ。
リンク: 手先口先 : しょっぱなからこんなん。.
次兄の肉体は無くなってしまったが、彼の人格や言行は人々の記憶に残っており、今も彼らに影響を与えることができる。そのことが、私の心を慰めてくれる。不安の種子の発芽と闘う人生だったとしても、彼は幸せな、意義ある暮らしの中に生きていたんだと思わせてくれる。
私の悲しみは、誰よりそのことを伝えてあげたい次兄と、この世では語り合えないということだ。
一戸家の運営形態は、もう一度やり直しても、「この世では語り合えない」ものをたくさん残すような気がする。それは今とても悲しいことであり、そうならないよう、これから家族のコミュニケーションはより密になるのかもしれないが、でもやはり、「悲しいこと」は今後も残ることだろう。どこの家でもそんなもんなんじゃないかっていう気もする。
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今年の正月、兄弟姉妹が、それぞれの子供の頃の写真を両親から受け取っていた。
弟の分はいま、奥さんの手元にあるわけだが、今日デジカメで撮ったものを送ってもらったので、先ほどFlickrに挙げておいた(または、Naoya, See you again)。
「もやそばを食べさせる非合理な陰謀.」の念仏を唱えたのは、これぐらいのときだろうか。
中学に入って坊主頭になる前ではあるけど、この写真の弟は、陰謀説を唱えるには、幼すぎるような。。。
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今度は、Tsuyuguchiさんの奥さんの2uさん(これも「つゆ」ってことか)による、僕の弟直哉に関するエントリー。
リンク: 地に足がついている日記 � 爆発的な感情を行動に起こす前に適正な言葉で表現する能力.
2uさんのみるところ、大人になった弟にも「爆発的な感情」が秘められていたけれども、その感情に基く行動を「適正な言葉」で論理的に説明しようとつとめていた、という趣旨。非常に納得させられる。
まあ、家族の中ではもしかしたら畳の上で寝ころんで手足をバタバタさせ「僕はトンカツよりもカツ丼がいい!!よくわかんないけどどうしてもっ!」と言って いた過去があるのかもしれないが・・・(というかそんな過去があれば是非教えて欲しい)。たぶん今ならカツ丼への熱い衝動を適正な表現で語ってくれるであ ろうと、予想。
このくだりで「過去」について真っ先に思い出したのは、もやそば事件。おそらく80年代初頭のできごとだ。
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弟直哉の友人であった、Tsuyuguchiさんのブログに、「「しあわせの理由」を読んだ理由」がアップされていた。
n# は自分の選択には誇りを持っている人だったような気がする。明確な根拠ととともに選択肢とリスクについては挙げてくれるが、相手に選択を強要しない人だっ た。だからこそひとつ前のエントリでも述べたようにその会話には経験にもとづいた重みと、安心できる何かをを感じた。そんな選択の連続が人生だとするなら ば、選択できない状態とは彼にとって何だったのか。一方でそのことに思いを巡らせると形容しがたい感情が込み上げてくる。
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2005年3月に、このブログのコメント欄で、弟がこんなことを書いていた。僕はこの後どんどんwakhokの国際部門の仕事に引き込まれていって、彼と似たような経験をどんどん積み重ねていくことになる。
リンク: ICHINOHE Blog: Japan Day 2 - SOA Seminar in Japanese!.
とにかく苦労したのは、英語が聞きとれる・話せる人にコミュニケーションが集中してしまうことで、しかもそ の人が必ずしもその企業のビジネスのコンテクストとエンジニアリングのコンテクストを両方持っているわけではないので、話がとっちらかってしょうがない。 さらに、英語が苦手な人というのは自分が聞き取れない・わからないということにあたふたするだけで精一杯で、相手が何がわからないかも想像力を働かせるこ とができない。そんなわけでパートナー企業が小さなことから大きなことまでとんちんかんなことを言いそうになるのを交通整理するのに必死でした。僕のロー ルではよくあることではあるのですが、ちょっと久しぶりだったのでくたくたになりましたよ。
外国語が話せるってことと相手の思惑を推し量るってことは別のスキルだと僕は思うのですが、得てして外国語をまじえたコミュニケーションはその両方 が必要なことが多いと思います。でも、そのどちらかができる人はもう一方が出来なくてもそれを補完できるはずではないでしょうか。まあ、どうしても話す・ 聞くほうが先にたってしまって、そこであたふたしてしまうのはわからなくはないんですが、慣れは必要かもしれないけど話せないなら話せないなりの気遣いの あり方ってのがあるんじゃないかと僕は思います。それは英語圏の人に対しても思うし、日本語を話す日本人に対しても思います。
ビジネスもエンジニアリングもわからないけど、英語だけ上手な人っていうのはたしかにいて、その人だけを窓口にしようとするととんでもないことになってし まう。でも、英語に自信がない人は、どうしても腰が引け目になってしまって、必要なコンテキストにあわせて話の進め方をコントロールするというのができな い。
「外国語が話せるってことと相手の思惑を推し量るってことは別のスキル」なんだけど、両者は相互補完的でもある。前者だけのスキルでぺらぺらしゃべるけど、相手の思惑が全然見えていない人は多い。逆に、相手の思惑を読むというのは、基本的には語学力それ自体とは別物なんだけど、でもやはり、言葉から情報をつかめるかどうかというのは、「読み」の正確さを左右する要素の一つではある。
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今回の弟のように、若くして人が亡くなると、弔問客の平均年齢もぐぐっと下がることになるのだが、結果的にお葬式の経験が必ずしも豊富ではない方々が、たくさん葬儀に参列してくれることになる。
葬儀というのはどたばたと行われるものなので、遺族側も革新的なことはなかなかできない。
そういう状況の下、今回特に工夫の余地があるなあと思ったのは、香典袋や芳名帖についてである。
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本日より授業再開。
大学の様子は、特に何も変わってはいない。出遅れてしまったプロジェクトのフォローアップに奔走。
弟の葬儀の直後(いや、最中か?)、彼の友人が(恐らく携帯から)Twitterにこのように書き残していたのを発見した。
友達のためにいつくしみふかきとかかみともにいましてを歌うのはいやです
「いつくしみふかき」は葬儀の定番なので、僕も知っていたが、「かみともにいまして」は、実は過去に歌った記憶が無い。
リンク: 賛美歌・聖歌かみともにいまして.
こちらはどちらかというと、卒業式の定番のようだが、葬儀でも使ったりするのであろう。「また会う日まで また会う日まで かみのまもり 汝が身を離れざれ」は、「永遠の別れ」への気持ちを和らげる、すごくいい歌詞だなと思った。
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上の妹が、今回の弟直哉の死について、mixiに書いたものを読んだ。
思い出した。そう、今回も、闘病中から葬儀が終わるまでずっと、みんな、悲しいのに毎日何かをネタにして笑っていた。
葬式での笑いといえば、うちの家族の中で必ず話題になるのが、母方の祖母の葬儀の際の、「先行ってくれや」事件(1984年)。
お経の間に足がしびれてしまった、叔母の義理の父が、焼香の際に立ち上がれず、「先行ってくれや」といいながら、ひっくりかえって悶絶した事件だ。この様子を、向かい側で見ていた喪主である祖父や故人の実子である母ら兄弟姉妹、僕ら孫たち、皆が連鎖的に笑ってしまい、収拾がつかなくなりかけた。祖母の実姉が、「不謹慎な。。」とぼやいていたらしい。
今回も、家族がそんな不謹慎に笑ってていいのかと、傍からいわれてもおかしくないくらい、常にシリアスでありながら、一方で常に笑おうとしていたように思う。何がネタになったのか、いちいち思い出せないが、またそのうち家族で集まるうちに、それぞれの記憶が持ち寄られ、増幅されて、エピソードとして定着していくことだろう。下の写真は、喪服に、迷彩色のズボンとカラフルなソックスを合わせてみせる、末の妹。弟の顔を見てはぼろぼら泣いていたかと思うと、こうして歯を見せて笑っていた。
僕は弘前に戻ってから、両親の周遊券の払い戻しのため、一緒に弘前駅まで行ってきた。払戻し手数料を取られたため、周遊券で割り引かれた金額が、ちょうどチャラになり、通常通りに切符を買ったのと同じ額がかかることになった。両親は「全部直哉のせいだ」といって、笑った。
こうして僕らはずっと、家族の中で最初に退場してしまった弟のことを、事あるごとに思い出し、笑いながら生きていくのではないかという気がしている。
僕が、葬儀や死のことをブログで話題にしたり、写真をFlickrにアップしたり、ということを多少ためらいつつ結局やってしまうというのも、悲しいときこそ笑おうという、一家のある種の確信を、僕なりに継承している結果なのかもしれない。
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両親とともにいったん実家の弘前に戻った後、今朝から奥羽本線特急いなほで6時間ちょっと、さきほど新潟に戻ってきた。
先日「 ICHINOHE Blog: 「幸せの理由」と怪奇大作戦.でちらっと書いたグレッグイーガンの「 しあわせの理由」について(ひらがなで「しあわせ」が正しかった)。すでに妹、僕の友人、弟の友人、いろんな人が僕に続いてこの本を読み始めていて、局地的な口コミが発生しかかっているようだ。
さて、先日のエントリーで僕は、こんな風に書いた。
脳が保証してい る「自分」という存在の危機に対し、SF好きな彼が、彼なりの解釈をしていたことは、十分にうかがい知れた。弟が世を去った今、 その解釈の正しさを確認することはできないし、たとえもう一度会うことができて、話すことが許されたとしても、彼は僕の分析を否定し、依然平静を装うと思 う。
その「解釈」とは何か。披露するほどの深い話でもないのだが、表題作を読んでいたときの現実の直哉の状況とあわせて、少し書いてみよう。
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n#, naoyaiこと、弟一戸直哉の葬儀が昨日終了した。
当ブログを読んでから参加してくださった弟の大学時代の友人の皆さん、大勢参加してくださったマイクロソフト(彼は勤続10年の「古株」だったそうだ)をはじめ、仕事関係でお世話になった方々、十分皆さんにお礼ができず申し訳ありませんでした。
幾人かの方々に、弟の生前の活動ぶりを教えていただき、非常に嬉しかった。

Mejiro Church
Originally uploaded by shinyai.
ログを見ると、弟のことを検索してここに来てくださってる方が、依然としていらっしゃるようだ。落ち着いたら、葬儀の際に感じたこと、彼の子供の頃のことなど、ときどき(両親に教えると読んで悲しむのでこっそり)書いてみようかと思う。
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病気闘病中だった弟のn#あるいはnaoyaiが、昨日、息を引き取った。
彼のオンラインでの控えめな闘病宣言は、以下の通り、ごく短いものであった。
リンク: InTheSpiral: hospitalized - on my own will!.
hospitalized - on my own will!
色 々ご心配ありがとうございます。来週に入る予定だったけど、実は自ら予定を早めて今日からhospitalize生活です。 手術とかあるから面倒と言えば面倒なんですが、これ一発であとは大丈夫って話だし、ちょうど仕事の合間に当たってラッキーな感じです。 詳しいことは後で個別に話しますが、えー、今痛いんだけど後が興味深そうです。グレッグ・イーガンの『幸せの理由』とか『ディアスポラ』が関係あります。
オンラインだけでなく、僕ら家族にも平静を装って病気に立ち向かい、手術からわずか1週間、32年の短い一生を終えた。僕は、彼が装った「平静」の裏にあるものを、結局最後まで見破ることができなかった。
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