カテゴリー「稚内北星学園大学」の記事

2009/05/22

wakhok、「なかのひと」に登場

どこの組織の人が、自分のページを見ているかがわかる「なかのひと」というサービス。このブログにもずいぶん前から設置している。昨日、このサービスでログを見ていたところ、僕の前任校である「稚内北星学園大学」が表示されていた。

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以前より、稚内北星学園大学から見に来てくださる方はいたはずなので、おそらく回線の切り替えなどで、IPアドレスから大学名が割り出せるようになったのであろう。

ちなみに、現時点でのなかのひとでの「メジャー度」は、「激レア」。敬和学園大学と同じだ。激レアといわれて、あまり気分の良いものではないが、おそらくトラフィックの総量で見ているのであろう。敬和が「激レア」を脱するには時間がかかりそうだが、wakhokはネットユーザが多いので、ほどなくランクアップ(?)することだろう。

上のキャプチャをみて、ネタフルのコグレさんから、かつてwakhokのサマースクールに参加していたことを教えていただいた。

やりとりを総合すると、コグレさんが参加されたのは1996年のようだ。

たぶん担当は、植田龍男先生だろう。

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2008/06/23

稚内副港市場ブログ

wakhokの高谷ゼミが、いつのまにか稚内副港市場のブログを運営していたことを知った。

リンク: 稚内北星学園大学の高谷ゼミの生徒が紹介する副港市場のブログ.

 



from shinyai

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2008/04/05

wakhokのウェブがリニューアル

僕の前任校である、wakhok、稚内北星学園大学が、新しいシンボルマークとロゴを採用した模様。ウェブページの色合いも赤茶色に変わった。


from
shinyai

このほか、卒業式、入学式での、佐々木学長のメッセージが公開されている。

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2008/02/12

牧野竜二君が「第1回学生デジタル作品コンテスト」で最優秀賞

以前、阿倍野ヒューマンドキュメンタリーコンテストで、wakhokの研究生、牧野竜二君が入賞したという記事を書いた。この牧野君、今度はアップルジャパン主催の「第1回学生デジタル作品コンテスト」、Podcastingコンテンツの部で、最優秀賞を受賞した。

おめでとうございます。

参考記事:ICHINOHE Blog: 「母校がなくなる日」が阿倍野ヒューマンドキュメンタリーコンテストで入賞

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2008/01/07

札幌でイチゼミ忘年会

稚内時代のゼミ生たちが、昨年暮れの12月30日に、札幌で忘年会を開催した。僕は宿泊つきじゃないので行かないことにしたのだが、結局朝まで飲んでいたらしいので、宿泊したのと一緒だった。

リンク: We are here. イチゼミ忘年会のお知らせ【終了】.

先日写真のURLが送られてきたので見たが、みんな元気そうで、世代の垣根を越えて交流していたので、安心した。

「企画力・実行力のある集団」であった稚内のイチゼミは、今となっては懐かしい記憶で、敬和で同じ集団を作りたいけれども、作ろうと思ってできるものではないんだなあとつくづく感じる。

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2007/12/24

白石 俊平『Google Gearsスタートガイド』

稚内北星の東京サテライトに在籍していた(過去形でいいはず)、白石俊平さんが、Google Gearsに関する本を出版されたことを知った。

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2007/10/11

稚内北星 丸山学長の辞任

昨日北海道新聞が、稚内北星の丸山学長の辞任を報じた。

リンク: 教育 北海道新聞:稚内北星学園大 学長が辞任 経営刷新へ.

 

丸山先生は、2000年の開学以来、経営者、指導者として、常に先頭に立って活躍されてきた。今回の辞任をめぐる議論の経緯を詳しくは知らないし、これについて今の僕が、あれこれ論評するのは避ける。が、開学前を含めると10年近くになるであろう、丸山先生の最前線でのご活躍には、とにかくおつかれさまでしたと申し上げたい。

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2007/08/23

「母校がなくなる日」が阿倍野ヒューマンドキュメンタリーコンテストで入賞

稚内のNPO法人、映像コミュニティムーブユーのメンバー、牧野竜二君制作の映像作品、「母校がなくなる日」が、阿倍野ヒューマンドキュメンタリーコンテストで入賞を果たした。

リンク: ムーブログ: 阿倍野ヒューマンドキュメンタリーコンテスト入賞!!.

稚内郊外にある抜海小中学校の閉校までを描いたもの。抜海小中が閉校したことを、僕自身は、今日まで知らなかった。

新聞、テレビなどのニュースに取り上げられ、学校は負のイメージがつきまとっている現在ですが、抜海小中学校は昔ながらの地域の象徴としての学校がそのままにありました。

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2006/04/10

丸山学長のブログ

ネパール滞在中、「俺もブログやりはじめてさ」と学長が言い出した。

デジハリの杉山さんばりにやってみたら?という話は、何度かちらちらと出ていたが、あまりご本人気乗りしなかったという話を側聞していたのだけど。なんにせよ、こういう形で学長の考え方が表に出て、共有されるのはいいことだと思う。

最近の投稿で、日本語教育ボランティアでネパールに行った、健司のレポートが引用されている。彼を送ってよかったという気持ちは僕も同じだ。在学生であること、成績があまりよろしくないこと、いろいろと反対意見があった。でも昨夏のネパールでの彼を見ていた僕からすれば、結局彼は現場で何かを感じる人なので、今回ぜひとも送りたかった。彼の順応性の高さは、ロシア語のK先生やGタムも評価してくれた。

今の彼は、すっかりナガルジュナファミリーとなり、ナガルジュナの応援団としてがんばっている。

日本では、あまり学長から注目されることのなかった彼だが、今は学長からも大きな評価を得たようだ。がんばってほしい。

ところで学長ブログは、これまであまりまとまった形で外に出てこなかった、学長のWAKHOK運営に対する考え方が現れている。僕は決して「学長派」ではない(そう思われていると思うけど)し、IT教育にフォーカスするだけが道ではないとも思うけれども、いまの「国際化」に向けた挑戦は、自分の大学経営のためのようでいて、実は日本の大学教育の現状に対して、改革を促していく可能性を内包しているように思う。その中で、社会科学の側がどういう役割を担うのかは、実は結構重要だと思う。


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2005/09/05

帰還しました

8月9日から、稚内-サハリン-稚内-札幌-バンコク-カトマンズ-ポカラ-カトマンズ-香港-札幌-稚内、と放浪し、2日早朝に無事稚内に帰着。

校務関係ではいろいろ成果がありましたが、さて学内で承認されるのは何%だろう。
成果が出れば出るほど、自分たちが新しい一歩を踏み出せるかどうかが問われることになる。
現場で感じたことを、自分が100%同僚に伝えなければならないのだけど、自信はない。

訪問した大学は、サハリンで2校、ネパールで5校。全部で7校分の報告が必要になる。長い出張は体力を奪い取るが、出張の長さに比例して、帰国後に処理すべき案件が増えることになる。

気晴らしに、ランダムな写真報告を試みたい。

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2005/05/28

WISCPAの「ブログ」トラの穴

本日のWAKHOK-WISCPAブログ実習は、ここからスタート。

TBがどのように連鎖するか、参加者の皆さんの腕の見せ所です。

お好み焼きはおかずになるか?(Papu)
恋の桜は散る?散らない?(Papu)
酢豚のパイナップルとサラダに入るリンゴはありかなしか(kent)
トイレでどこまでズボンを下げる(kent)
目玉焼きには醤油?ソース?(Papu)
稚内で暮らすなら、1度は利尻に登ろうよ。(ユーミー)
男女に友情は成立するか。(ユーミー)

主要ブログサービス一覧(他にもあります)
gooブログ
livedoorブログ
はてなダイアリー
ドリコムブログ
Exciteブログ
Jugem

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2005/05/20

東京研修会

14日から東京に来ている。
このところ旅ばかりだ。
22日に東京サテライトで授業を担当することになっているので、稚内のゼミ生をつれて、一週間動き回っている。とはいえ、そろそろ自分が疲れてしまったり、授業の準備もあったりで、そろそろ自由行動になりつつある。

私にとっては大して目新しくないことでも、学生たちには「初体験」のことが多く、大したことはしてやれていないけれど、いい経験になっていることだろう。当初5,6人の参加を見込んでいたが、やはり金銭的な負担は大きく、予定参加者は3名、うち1名が出発前日にインフルエンザにかかり、結局参加者は2名となった。授業をサボらせてどういうことだ、といわれそうだが、東京での就職を動機付けるためには、こういう経験が得がたいものとなるはず。個人的には逡巡なし。

とりあえず簡単な行動記録。
14日:OBのK谷に会う。忘年会ぶり。仕事にもまれ、東京にもまれ、落ち着きが感じられた。学生にいろいろと就職指南をいただく。
15日:タイフェスティバル。代々木公園で首都圏のタイ関係の店や団体が集まって模擬店を出すイベント。予想をはるかに上回る人出。東京人でもぐったりする人ごみに、ほとんど魂を抜き取られたように呆然とする稚内人たち。夜はホテル近くの琉球亭で沖縄料理を楽しむ。普段無口なJ君は、店のおかみさんがしきりにいじられていた。
16,17日:東京ユビキタス会議。WSISの準備会合で、各国政府関係者も多数参加。同時通訳はついたけれど、正直、学生がついていけるレベルの内容ではない。参加者リストを見る限り、学部学生で参加しているのはWAKHOKの二人だけのようだった。
17日:光文社訪問。昨年学園祭に来ていただいた中森明夫さんと編集部の皆さんとお会いした。稚内話が多かったような気もする。中森トークは相変わらず。
18日:フジテレビ、ニッポン放送訪問。それぞれかなり奥のほうまで見学させていただいた。いずれもローテクとハイテクが混在しているんだなという印象を受けた。
19日:名古屋へ。米国国土安全保障省の担当官パーディ氏によるサイバーセキュリティに関する講演。正直いくかどうか迷ったが、別件の用事もあり日帰り。東京に戻り、19時から東洋大学にてICPF主催の「録画ネット」に関する研究会。この問題についての世間の関心は高い。名古屋には学生は同行しなかったので、浅草見学などをしていたようだ。

で、もう20日。あさっての授業の準備があるので、今日は学生を自由行動にし、東京ビジネスショーを見に行くように行った。行くかどうかはわからない。

というわけで、今日中に準備を終わらせるようがんばりますので、サテライトの皆さん、もう少々お待ちください。

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2005/04/17

WISCPAの課題

Javaを学ぶ丸安ゼミ、映画を学ぶ岩本ゼミと合同の勉強会が、スタートした。

勉強会の名前はWISCPA: Wakhok Integrated Seminar for Collaboration and Partnershipで、音の響きで多少アレンジを加えて「ウィスパ」になった。とりあえず仮称ということで。ささやきあう研究会も気持ち悪いが。

さっそく課題になったのが、難易度の設定と発言しやすい環境作り。
結局、普段の授業と同じことなのだけど。

まったく違う領域を学ぶ学生同士が相互に議論を喚起しあう、という趣旨からすれば、レベルを下げるのはあまり好ましいことではない。プレゼンの仕方を工夫すればいいだけのことだ。だけれども、それも程度問題なのかもしれない。1-4年全員が参加する以上、下の学生たちの理解度が下がるのは、ある意味当然予測されることであり、そのフォローをある程度考えなければ、長時間の議論に耐えられない。

発言のしやすさを実現するのも難しい。ある意味リラックスした雰囲気で上級生たちは自由に発言していたが、1-2年が同じ感覚を共有できたわけではない。昨日の参加者はたかだか40人程度だが、40人でも知らない先輩もいるところで発言するのはなかなか勇気が要るだろう。

昨日選ばれた「運営委員」の間でも、意見は分かれているように感じた。これから1ヶ月の間に次回の内容を決めていくわけだが、とりあえず折衷的なやり方として、1-2年でも理解可能なセッション、3-4年中心のセッション、という組み合わせで進めるしかなさそうだ。結局、内容だけじゃなくて、誰がしゃべるかでも難易度は変わるわけだが。

上級生からのコメントとして、「1年の頃からこういうのをやってたらなあ。。」という声があった。分野をまたいだ研究会がこれまで成立しなかったのは、教員だけの責任だとも思わない。学生たちが自主的にそういうことを考えてもよかったはずだ。とはいえ、過去の経緯を振り返ってみると、自分が働きかけるべきタイミングもあったわけだし、責任を感じるところだ。でも、それだけ、上級生にはWISCPA(仮)の意義は伝わったということだろう。

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2005/04/16

英語の需要と要求と供給

プレゼンテーションのための英語表現を学ぶ勉強会を始めた。

場面ごとに必要な表現方法を学び、実際にプレゼンテーションを行うための作文を自ら行ってみた。参加した学生は2名。僕と留学生のGタムがコメントをつけた。まわりで聞いていた学生たちは、すごいことやってると感心している風だったが、別にたいしたことはやってない。こういうのは、むしろ授業に積極的に取り入れて、「要求」をつきつけたほうがいいように思う。

WAKHOKの英語学習に対する僕の考え方は、学生の現在の平均的英語レベルにあわせて授業を行うのではなく、専門教育に必要な英語をそれぞれの場面で、要求してしまえばいいというもの。少々荒っぽいのかもしれないが、そこはやり方でカバーできるように思う。学生の平均的レベル、あるいは苦手な学生のレベルに合わせて、限りなくレベルを下げて文法の確認をするよりも、案外いいのではないかと思う。「まず苦手意識を克服しよう」という狙いに反して、高校までの「トラウマ」に引き戻される学生もいるだろう。逆に、幸いにして苦手意識を克服したとしても、そこで得られる能力は、とても実用に耐えうるものにはならないだろう。まずは具体的な到達目標を決めて、そのために必要なパーツをそろえながら文法も確認していくというのはどうなのだろうか?

僕は、英語学習においては、「必要に迫られて」学ぶこと、「背伸びをして」学ぶこと、これを繰り返してきた。帰国子女の英語力に圧倒されたり、仕事で「英語ができない」とはいえない状況に追い込まれたり、そういう場面で「背伸び」を繰り返しながら、少しずつ必要な表現を学んできた。僕の弱点は、そうした場当たり的に学ぶ時間だけではなく、本格的に強い自覚を持って学ぶ時間を十分確保していないということにあるが、こうした経験が自分に学習の必要性を自覚していることは確かである。自分自身最短の道を通ってきたかどうかはわからないが、「必要は改善の母」になるだろう。

学生たちは、「必要」を自覚していない。あるいは自覚することから逃避できるようになっている。ここでも、WAKHOKの一点突破主義は、免罪符を与えている。IT専門教育から入って、そこで英語を含む他分野の必要性に気づかせ、基礎教養への関心に戻してやるというプロセスは、果たして機能しているのか。ここでもやはり、教員がもっと議論すべきは、専門教育の先進性の追求ではなく(少なくともそれだけではなく)、教養を含む全体的カリキュラムの有機的連携のあり方だということになる。しかも、そこでの有機的連携の議論は、あまり大上段に構えた話から入るのではなく、学生たちがITをコアにして学ぶということを前提に、英語力、プレゼンテーション能力、コミュニケーションスキルといったトータルな能力の必要性をいかに自覚させ、身につけさせるかということから出発すべきだろう。大学教員は、自分の専門性を発揮することをまず第一に守るべき利益と考えるので、そうした利益と全体目標がずれた場合、結局どこまで教員が自覚的に自分の権益を譲り渡すか、ということになる。教員はお互い相手の立場をわかっているので、教員組織がこの話を議論しても、たいていはさんざん議論したあげく、現状維持に落ち着いて終わってしまう(ここは事務組織やトップの出番なんだと思う)。

SFC CLIP「English Service Centerがオープン -授業外の英語学習をサポート」.という記事を読んだ。こういう体制作りの話になると、たいてい「うちは小さな大学なので、ここまでの体制は取れない」という話になる。そうだろうか。極端な話、基本的な文法などの英語学習はどんどんWBTにしてしまえばいい。そういう仕掛けはいまいくらでもある。残るのはサポートだけ。その分英語の教員は、あるいは別の専門教員も含めて、「英語で○○をする」というレベルに、取組みの中心をシフトさせたらいいことではないのだろうか?

「IT一点突破主義」のWAKHOKの教育は、国際的場面で評価を勝ち取る潜在性を持っていると思う。本気でそのための準備をすれば、「田舎」にあることなんて吹き飛ぶぐらい、大きく脱皮できるはずだ。
でもそのための足場を作る段階で、極端な「IT一点突破」に走ってはいけない。学生の立場にたって、彼らの将来像を見据えながら、「ITプラスの数点突破」ぐらいに目標を置くのがいいだろう。教員にはそれぞれの研究という守るべきドメインがある。僕にもある。だから、教員組織が、この作業で改革するための力を発揮するのは難しい。では誰が発揮するのか。自明である。

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2005/04/11

3ゼミの抗争と構想

ネパールの話、まだ書ききってないのだけど。

新学期が始まり、土曜日に新入生向けアッセンブリが行われた。
1年生向けのゼミの説明会も開催され、いつもの通り、一見堅そうな我がゼミの客入りはイマイチ。午後になって、学生自治会主催のゼミごとのプレゼン。詳細はPapu's-Blogに書かれているが、なかなか盛り上がったように感じた。あれで1年生が疲れてなければもっとよかったのだけど。

一戸ゼミは勉強の話はそこそこに、「理想のキャンパスライフを実現する一戸ゼミ」というテーマでプレゼンを行った。
「稚内で合コンはないでしょう」
「いや一戸ゼミにはあります!。。。」
というアプローチだ。稚内という特殊な環境にあって、楽しく学んでいる集団もいるんだよということを、うまく伝えてくれたように思う。

このシナリオはすでに、丸安、岩本の二つのゼミには漏れていて、先に発表したこの二つのゼミからいろいろと愛情のこもった言及をいただいたが、そこでシナリオを一部修正した一戸ゼミの二人のプレゼンターはよくがんばり、見事なアドリブを披露した。二人も着実に成長しているなあと、ユーミーと二人、目を細めた。

「理想のキャンパスライフ」の映像化には、そこまでしなくても、という声もあり、ユーミーの卒業生の言葉とアプローチが同じだという声もあり。しかし、僕の立場から見ると、今回の取組には上級生にとってもそれなりの意義があった。そこには「右も左もわからない」新入生という聴衆がいた。彼らはきっと大学生活に関する何らかのイメージを持っているはずだ。そしてそれはおそらく、この数日を過ごした稚内にはないものを含んでいる。自分たち自身そういう経験をしてきた学生たちが、聴衆がおそらく考えていること感じているであろうことを想像して、それにさおさす形で自分たちのことを紹介した。このプロセスに意味があるのだ。もちろん、研究内容を学生の立場から伝えるというのは、教員が説明するのとは別の意義があるだろう。でも、1年生は疲れていた。すでに一度教員から説明があった。学生は教員の影響を少なからず受けているから、多少視点が違うにせよ、説明はどうしても重複する。それから、研究内容をきいたときの1年生にとっての印象もある。

マーケティングにおけるポジショニングと表現手段の選択を考えて、今回のアプローチが選択されたわけだ。「小さな世界の小さな出来事」には違いないけれど、こういう小さな積み重ねから、学生たちが大きく飛躍して言ってくれればと思う。

丸安、岩本、一戸の「抗争」は、アッセンブリ後のワッフルデーで「手打ち」が行われ、今週からはかねてから計画されていた3ゼミ合同研究会がスタートする。お互いがお互いのやっていることを認め合い、高めあえる研究会に育っていってほしいものだ。

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2005/03/21

ユーミーの「卒業生の言葉」

今年の卒業式が終わった。「決意表明」の通り、ユーミーの「卒業生の言葉」は見事に大ヒット。丸山学長や来賓の稚内市長まで笑わせることができた。単に笑わせるだけでなく、彼女が4年間取り組んできたマルチな活動や卒業生みんなが共有できるエピソードを織り交ぜて、「泣ける」内容でもあった。なにより、「心の128単位」をはじめ「くさいセリフ」をちりばめたスピーチが、一戸ゼミの5年間の歴史を象徴していた。うれしかった。貴重な映像資料が残っているので、近日どこかで公開したい。帰省していた在校生たちにも、ぜひ見てほしい。

彼女の言うとおり、このスピーチは彼女の大学生活4年間の集大成であった。卒業研究ではなく、スピーチが集大成となってしまうところがまた、一戸ゼミらしい。「何を学ぶかじゃない。誰と学ぶかだ。」。ソフトウェア研究が主流を占める学部で傍流にある自分たちを、半ば自虐的に形容したこの言葉。そういいながら、なぜかIT産業で働くことになってしまった現在のOBが、2001年ごろに言い出したものだ。最初は笑ってやりすごしていたけれども、今にして思えば、その通りだった。ゼミという集団が、18歳で大人ばかりの1426研究室をノックした彼女を、ここまでの「大女優」に育て上げたのだと思う。

決して僕が彼女を育てたとは思わない。
彼女が入学した頃、僕はまだ駆け出し教員で、正直右も左もわからないような状態だった。慣れない土地での生活に、まだ僕自身が不安を抱えていたかもしれない。ほとんど僕と同世代の社会人入学軍団が、勝手にゼミを「仕切り」はじめていたので、僕がやったことといえば彼らの暴走を適宜止める程度で(止めてないと非難されたこともあったが)あったように思う。しかしその結果、かえって集団はまとまり、自律的な集団として、次第に力を発揮していくようになった。

こうした地盤ができた頃に入学してきたのが、彼女たちである。一風変わった「大人集団」が多くの18歳の子供たちに敬遠される中、札幌の同じ高校を卒業した元気な三人組が、「体験入学でカレーを一緒に食べた」先生のゼミを、のぞきに来てくれた。そのうちの一人がユーミーだった。こういうと彼女のその後の努力を認めていないことになるが、そのときから彼女の成長は約束されていたのかもしれない。彼女たちは、上の世代の「いいところ」を吸収してくれた。もともと彼女の中にあったチャレンジ精神を、大人たちと接する中でさらに発展させ、後輩たちに伝えてくれた。ここでも僕は、「そうだそうだ」とうなづくだけだった。唯一上の世代と違うのは、彼女はよく勉強し、成果を残したことか。

いつも笑顔を絶やさずに、常に笑いを追い求め、楽しく語りあい、互いの成長を確かめ合う。この雰囲気の中で、下の世代の学生たちも、徐々に育ってきている。
結局、僕自身の成果というより、最初に礎を作ってくれた先輩たちの力が、ユーミーの成長をもたらしたのだ。というわけで、これなかったOBの皆さんも、ぜひ彼女の「卒業生の言葉」を見てください。皆さんのおかげで、ユーミーは立派に成長しました。そして、その姿を見ながら、結局僕もゼミの学生たちに育てられてきたんだと再確認しました。

来年から一戸ゼミは、他分野とのコラボレーションに挑戦する予定だ(この道筋作りにも、ユーミーが一役買っている)。
「ゼミが人を育てる」という一戸ゼミの伝統は、徐々に他のゼミにも伝染していくことだろう。一方研究面でも、他流試合の中でもまれて、これまで以上にすばらしい成果が生み出されていくことだろう。緩やかな連携の中で、これまでの専門の壁を取っ払い、「人を育てる」すばらしい集団がさらに拡大・発展していってほしい。

そういう構想がまとまりつつある中、偶然にも彼女の力が最後の大舞台で発揮され、卒業生たちの心に、たくさんの勇気と思い出を与えた。
大きな波がやってくる「前兆」だと思いたい。

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2005/03/07

Japan Day 2 - SOA Seminar in Japanese!

- Japan Day 2 - SOA Seminar in Japanese!

丸山学長が登壇したSOAセミナーについて、別の登壇者であったDave Chappellさんがコメントしている。でも日本語ばっかりで中身はよくわからなかったようで、日本人の名刺交換とか、日本の同時通訳の話が中心。

たとえ有意義な話しでも、日本人だけでしか共有できなければ、やっぱり広がりに限界があるのだ。でも日本語だけで暮らしているとそういう限界も認識できなくなってしまう。
英語で論文書いて、英語で教えて、っていう覚悟だなあ。「日本語でいい」っていうのは、甘えだと考えよう。

もちろん、Yaleでも、Malaysiaでも、英語ばっかりの空間で、僕は逆に同じようなことを感じたんだけど。日本人だから日本語でいいじゃないかっていうのは、やはり現実を無視した開き直りじゃないかと思う。



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2005/02/15

情報メディアフォーラム in Sapporo::セッション4「情報発信『Hokkaido Style』-地域からの情報発信とIT」企画趣旨

今週の土曜、大学主催の「情報メディアフォーラム」で、1セッション司会をやることになった。私の専門と直接には関係ないのだが、「いいだしっぺ」の提案者が司会をするという、よくある話だ。

情報メディアフォーラム in Sapporo::セッション4「情報発信『Hokkaido Style』-地域からの情報発信とIT」企画趣旨

パネラーの皆さんとやり取りをしているが、内容には大いに期待が持てる。
地域ごとの多様性を反映させながら、全体として「北海道ブランド」を発信するという、なかなか複雑なことを、北海道はやらなきゃいけない。しかし、コンテンツを担う人々の動きはともかく、一般の人々の認識はきわめて低いのではないか、というのが僕の仮説。

「北海道ブランド」の発信に、海外番組配信を通じて取り組んできたテレビ局。
稚内、札幌、それぞれの文脈で情報発信に取り組むNPO。
次世代の「発信者」を育てる高等学校放送部。
それぞれの立場は違うし、個々の皆さんが「北海道」を強く意識しているかどうかは定かではない。おそらく必ずしもそうではないだろう。でもこれらの動きが全体として、トータルな「北海道情報」を作り出していることはまちがいないと思う。

土曜日の午後、札幌在住でお時間のある方はぜひご参加ください。

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2005/02/10

一戸ゼミの総合研究を総括

「卒論」の報告会が8日に行われた。
「お披露目」が終わったので、一戸ゼミの学生についてだけ、率直な感想。

<総論>
少なくとも「社会」領域において、一戸ゼミメンバーは、「情報メディア」への適合性という点で、今年も比較的意欲的な取り組みをしてくれた。でも、看板だけ意欲的というものも多かった。
「情報メディア」の定義はやりようによって相当広くなるのだけど、ここにいう「適合性」は、情報ネットワーク社会に関わる新たな問題領域に切り込もうとする意識、という程度の趣旨で理解してほしい。「入り口」論争をやるつもりはない。新しい現象の表面にとらわれることなく、その本質を見よ、という主張がその対極にあるとすれば(対極にあるとは思わないけど)、それはそれで否定はしない。たぶんその通りではある。しかし少なくとも学生たちには、それを新しい技術にキャッチアップしない・できないことの免罪符にしてほしくない。新しい技術に常に貪欲に取り組みながら、単に技術トレンドに流されることなく、表層にとらわれない視点で研究に取りくめということであれば、まったくもって歓迎である。

<個別評>
主査として評定会議の際には心ならずも擁護してしまった面がある(良くない愛情表現だと思う)のだけど、もう会議は終わった。
ここではあえて歯に絹を着せず、率直に書こう。点数はつけない。コメントのみ。

S.Y 「P2P(ピアトゥピア)と音楽著作物」
P2Pでの音楽ファイルの流通と、DRM利用の合法的音楽配信ネットワークを通じた音楽ファイルの流通を、対比的にとらえ、P2Pをめぐる日米の判例における議論を交えながら、ネットワーク上での音楽利用についての妥当な解決策、妥当なビジネスモデルを探ろうという、ありがちであるが壮大なテーマであった。しかし、判例研究ですでに息が切れてしまった。また、興味があるといって始めた割には、実は実際のサービスの実態もあまり知らなかったので、そこで立ち止まってしまった。「え、こんなことできるんだ!」と立ち止まって楽しんでしまったということか。
入り口までたどり着いたところで終わってしまい、残念ながら僕が想定していた枠組みにすら到達してくれなかった。
前期の勉強会にまじめに来ていれば、問題の本質をつかむのに、これほど苦労することはなかったので、結局「さぼり」のつけだと思う。
途中で自動車業界への就職が決まったことも、かえって悪いほうに作用したかもしれないね。ただでさえいすに座っているのが苦手なのに、当面関わらない業界の話になってしまったので、さらにいすに座れなくなったということか。

Y.M「公衆電話の必要性」
「必要性」という言葉を最終的にタイトルに使った。これに代替すべき言葉が見つからなかったということが、この研究の破綻を象徴している。公衆電話に関する利用可能な資料が少なく、苦労したと思う。本来なら事業者や事業者団体へのヒアリングを行う必要があったと思うが、稚内にいたままでは難しかったし、休み期間でそれを実行するには、準備があまりにも不足していた。
民間セクターが採算性を維持しながら、公衆電話を設置し続けるのは難しい状況がどんどん近づいているはず。しかし公共的なサービスとしてこれを維持していこうという議論はあまり盛り上がっていない。公衆電話は、「あまねく公平」に提供されるべきユニバーサルサービスとして位置づけられるのかどうか、だとすればその根拠はどこにあるのか、またそのためのコストは誰がどのような形で負担するのか。残念ながら、説得力のある具体的な提言はなかった。でも、8日のプレゼンでは、大きな改善があったので、安心した。
「公衆電話」という、比較的「ローテク」なテーマを選んだのは、おそらく、わりと身近にあってわかりやすく、それでいて「情報に絡んだ」研究ができるという判断があったのではないかと思う(ちがったらごめん)。しかし実際には、身近ではない問題に引きずりこまれて、苦しんでいるように感じた。

N.I.「人々の移動と社会への帰属における考察」
自分が指導しておいてなんだけど、残念ながら「許した」としかいいようがない。タイトルの言葉遣いからしてよくわからない。当初「海外移住」という「なんじゃそりゃ?」系のテーマでスタートしたのだが、最終的には中高年の「ロングステイ」を支えるサービスの充実を、国際電話の「ローミング」から類推して検討するということになった(という報告は受けていなかったが、いつのまにかそうなっていた)。結果的には、「海外に行っても、あらゆるサービスがなんでもワンストップショッピングで利用できるようになればいいのに」という空想的な内容になってしまった。で、その趣旨は、タイトルからはまったく読み取れない。この構想の先に「国民総背番号制」ならぬ「世界共通背番号制」があるという点を、僕からもプレゼンの際の聴衆からも指摘されたが、質問の趣旨すら理解していたとは思えない。また、主権国家の分立という現在の国際関係が、このような「空想」だけで変わるわけがないにもかかわらず、ひたすら「ロングステイの増加」という日本国内の事情だけを根拠に「べき論」で突っ走っても、まったく説得力がない。自分の空想が実現できない要因を、詳細に検討するのであれば、まだ評価する余地はあったのだけど。
これも「情報メディアに絡める」ために試行錯誤した末の破綻だと思う。せつない。

S.H「映像権利管理団体の設立について~市民メディアとしての映像制作を巡る現状から~」
自身の経験とゼミでの勉強を接続して、意欲的な提言としてまとめたと思う。「本当にこういう組織が必要な背景があるのか?」という指摘がずいぶんあり、それに適切に答えられなかった。本当は質問も妥当ではないのだけど、権利管理団体の動きや、権利処理が必要になる背景を十分に理解し、内外の動きを整理してあれば、十分その質問には答えられたはず。あのやりとりは、間接的に準備不足を露呈させた。
論文前半では、「市民がビデオカメラを持ち、発信するようになった」という現象を説明していたが、個人的にはあれほどの記述はいらなかったと思う。それだったら、既存メディアの権利処理のプロセスとの対比を、詳細に検討した上で明確にしたほうがよかったと思う。
それと、団体の設立を「提案」するのであれば、どうしたら持続可能な団体となるのか。その点に明確な答えるべきだった。どう考えてもJASRACのような大きな団体にはなりえないのであるから、それとは異なるにしても、どのようにしたら存続させることができるか、「提案」というからにはそこまで踏み込むべきだろう。

T.K「宗谷黒牛の発展を目指して~マーケティングの観点を通して~」
「マーケティングの観点」を学んでいるうちに終わってしまった感がある。「宗谷黒牛」という商品の属性が、分析を難しくしていたと思うが、出発点が「宗谷黒牛」であって「マーケティング」ではなかっただから、それは仕方がないし、提案した僕の責任だと思う。一方で、「お前は宗谷黒牛の何を知っているのか?」という声にたえられなかったのは意外だった。もっと早く「マーケティング」の勉強は終わって、「適用」のためのヒアリングに時間を割くべきだった。それをリードできなかったという意味では、僕の責任も感じる。
一番残念だったのは、最終的な「メディア戦略」の部分で、結局具体的な提言が弱かったということ。そこで、発信されるべき「コンテンツ」の理念型を示すことができれば、もっとよかった。そこまでいかないにしても、もう少し具体的に、たとえば雑誌ならばどのような雑誌に、どのような内容と形態で掲載するのかという、具体的な戦術に踏み込むことができれば、相当面白かったはず。
蛇足ながら、こういう制作を伴うものをすべてを「表現」というカテゴリーに押し込めてしまったところに、三系構想の失敗がある。教員の「専門性」という言葉が妥当する領域があるとは思うが、実際には「啓蒙」と「スケジュール管理」と「相談役」をやることになる研究が多いのだから、むしろ教員の「専門性」が優秀な学生の「系」にとらわれない取り組みに及ぼす影響に、もっと目を向けないと。学生は勝手にそういう垣根を越えて、勝手にやるべし。あ、評価の話がどっかにいっちゃいました。

Y.N「キャッシュに関する著作権法上の問題-『一時的蓄積』概念を中心に」
とにかくはじめるのが遅かった。4年間コツコツ著作権を学び、それなりの知識の蓄積があったので、インプット、アウトプットともに、これまで見てきた学生の中で、もっともスムーズであった。しかし、スタートが遅かったために、論点整理の後の展開について、じっくり議論して、説得力ある結論を出すまでにいたらなかった。しかし「専門性」を標榜する自分でもそういうことを感じるわけで、なんら卑下する必要はない。学部生の論文としては非常にいい論文になったと思う。むしろ「専門性」を標榜しながら、同じような経験があって、共感してしまう自分が、もっと反省すべきなのだろう。
外国法制を参照したことはいいのだけど、「ハーモナイゼーション」を当たり前の前提としてしまったのは、少し配慮が足りなかったか。たしかに政府が持ち出す「ハーモナイゼーション」は、都合よく外国法制を引き合いに出すときの方便に用いられることが多く、今回の論文もたしかにそういう「都合のよさ」が見られる。ただ、今回の論文はインターネット上で用いられるキャッシュ技術がもたらす問題に焦点を当てており、独自法制がイノベーションを不当に妨げる要因だとすれば、「ハーモナイゼーション」といわずとも、外国法制を参照して考えるべき課題なのであって、あまり立ち止まって考えすぎるのも現実的ではないだろう。
それと学際的関心、とりわけ開発に取り組む学生たちの関心にこたえたかどうか。この点は、無難ではあるが必ずしも明快とはいえない論点整理の部分はもちろんのこと、具体的な技術動向に即した研究になれば、さらに良かった。CRICの論文賞には、ぜひ加筆修正の上、チャレンジしてほしい。


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2005/02/08

わっくほっく徒然日記: わくほくではありえないシステム?

わっくほっく徒然日記: わくほくではありえないシステム?

「きらり」のエントリーで、wakhokのシステムの柔軟さをやや批判的に書いたのだが、案外東京サテライトでそういうことが評価されていたりして。
サテライトの運営も、Face to faceでやってる「ほんわか稚内システム」を移植した形になっていて、僕はハラハラしてしまうのだけど、東京に稚内を「輸出」すると、東京の人たちはそこに「東京で忘れられがちなもの」を見出して、意外と喜んでくれるということかなあ。

そうじゃなくて、実態がそういうこじんまりとしているだけか。


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「メディアと社会」総合研究

稚内北星学園大学では、4年次必修で「総合研究」という科目がおかれている。ようするに、「卒論」なのだけど、「メディアとソフトウェア」分野ではプログラミングなどの成果物、「メディアと表現」分野では、作られた作品が主たる評価の対象となるので、こういう名前になっている。でも、「卒業研究」の略語である「卒研」という言葉も使われていたりして、あまり一貫性がない。

僕の所属する「メディアと社会」分野でも、さまざまな成果物の形式を排除していないものの、これまで「論文」以外の成果物は出てきていない。

僕は、分野ごとに分かれる成果発表の形式にも不満があるし、そもそも4年生になっていきなりこんな大仰な取り組みをさせることにも、毎年違和感を感じている。「分野ごとに」というやり方は、すでに下の学年ではカリキュラムが改正されたけど。。。
と、この話を書き始めると、だんだん過激になってしまうのでこの辺でやめておこう。。。

明日は朝から、「メディアと社会」の発表会だ。
僕のゼミからも、6人が登壇する。お楽しみに。。。(といっていい)?

毎年4年目になって「社会」に流れてくる学生たちの中には、学部教育の内容とは全然関係ない「なんじゃそりゃ?」というテーマを設定する学生がいる。そういう学生たちが必ずいうのは、「情報と関連付けないとだめなんですか?」という言葉。僕は「そうだ」と答えるけれども、そうなった時点で、実はもはや手遅れだ。
要するに学部教育で学びとって、興味を持ったことが何もないのだ。3年間行われてきた授業を相互に関連付けて理解し、その中で自分なりの考えを深めてきたならば、およそそんなに外れないところでテーマを見つけ出すはずなのに。それらは、僕らが行ってきた教育内容を映し出す「鏡」なのだろうなあ。

ちなみに僕も大学3年のときに西洋法史のゼミで、なぜかマックス・ウェーバーを読み、法学部の王道である法解釈学に疑念を持った経験があるので、そういう学生たちの気持ちはなんとなくわかる。でも、これだけ間口の広い「情報メディア」学部で、それでもあえて「このテーマでいいのか?」と思わせるテーマでの「異種格闘技」戦を選んだのならば、それなりに理論武装をして、「そこまでいうなら仕方がない」とみんなに言わせてほしい。


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2005/01/27

シャラポワにロシア語を習いたい

Papu's-Blog::競争率13.7倍から。

シャラポワは皆さんより若いのですよ。。。
でもまあ学生たちの気持ちはわかる。

かつて「ニセ学生マニュアル」という本があって、どこの大学でいつどんな文化人が講義を持っているか、情報が載っていた。ミーハーな僕も、さすがにそれを見て他大学の講義にもぐるということまではしていなかったが、他の学部で興味を持った講義を聴きに言ったり、専攻分野で有名な先生の他大学の講義にもぐったこともある。

ちなみに、シャラポワは英語で教えると思うので、ロシア語を習いたい人はまず英語を勉強してください。「来てもらっても学生が対応できるかどうか」というセリフは、現状に妥当しているとともに、先生の免罪符にもなりえます。僕らはいい内容を受け入れる素地ができていますよ、早く対応してください、という姿勢ができていないと、教員もその状態に甘えてしまうのです。「英語で教えてくれるんですか。なるほど。語学を英語で教わるくらいならば、なんとかなりますよ。」と少し背伸びしたらいえるぐらいに学生がなってないと、万が一シャラポワ招聘の糸口をつかんでも、前には進まないでしょうね。

卵が先か鶏が先か。

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manbow!manbow!manbow!:提案型「きらり先輩」

提案型「きらり先輩」

manbow!manbow!manbow!から。
「きらり」は稚内北星のWEBに載っているコーナーなのだが、なかなか候補者が上がってこなくて担当者が苦労している。

「提案型」というのがよくわからなかったが、要するに大学側が「きらり」と光った卒業生を「一本釣り」するのではなくて、自薦/他薦で出てくるということのようだ。

むしろそれは歓迎しているし、その旨、WEBにも書いてあるのだが。
要するに卒業生から見て、それだけ親しみをもてない存在なのかな。それと、大学側の情報発信がいつも泥縄というか、場当たり的というか、よく言えば柔軟なのを在学中によく見ていたためかもしれない。こちらは、「言ってくれればどんどん紹介するよ」と言っていても、有効なコミュニケーション・チャンネルを持たなくなって、いまさら「俺を紹介して」とか「彼を紹介して」とかいいにくいのだろう。たしかに、気軽に話せる関係があってはじめて、「今度僕も紹介してよ」と言えるわけで、かしこまって「ぜひ次回私を取り上げていただければ幸いです」と大学にコンタクトするのは、相当敷居が高いかもしれない。

この関連で学生とのコミュニケーションで問題だと思うのは、二点。
1.システムができていない
小さい組織なので、いきおい「あらかじめ決めておかなくても、それぞれ事情に応じて個別に対応する」ということが多い。学生から見ると、こういう対応は非常にわかりにくい。逆にこういう柔軟性によって救われることもあるのだが、原則が明確化していないことで、右往左往している学生をよく見かける。きちんと決まった原則によって、自分が黙っていると不利益を受けるということがわかっていれば、それなりに学生も動くはずだ。個別の教員が学生たちの考えを聞いて、決まったシステム・原則の中での行動指針を与えるのはいいだろう。しかし小さい組織は、そういう行動が全体のシステム・原則の中に入り込んでしまうから厄介なのだ。そうなると逆に全体としては原則が見えにくくなり、普通に行動できる人々が困ってしまうのだ。

2.学生は指導する対象であって、自発的な意思を持たないと考えている
上とも関係するが、学生には意思がなく、こちらが何でも手取り足取り教えなければならないと考える傾向が強い。これはたしかに実態としてそういう面もあるのだが、学生の自主的な活動を促し、それをサポートしていこうという姿勢が欠けてしまっている。卵が先か鶏が先か。いずれにしても、学生の自主性が発揮されていないと思うことは多い。さらに問題なのは、その先に「学生には何も任せられない」ということを超えて、「何でも教員の都合に合わせて決めてしまう」ということもたまに起こる。どうしても自分たちに甘くなってしまうということだろう。そうなると逆に、「先生に頼めば何とかなる」と思っている学生の行動も起こる。

以上二点は「きらり」とは全然関係がないようでいて、僕の頭の中ではつながっている。つまり、こういう原則で動いている組織内部では、適応できる人たちはFace to faceでのコミュニケーションにより、うまくやっていけるのだが、その組織の外に出ると、途端にどこにどのようにコンタクトしていいのか、わからなくなる。組織としては、別にそんな他人行儀なことをしなくても、組織全体として対処しますよ、というのだが、普通の卒業生から見たら、そんな大げさなことはしたくないだろうし、誰とでも楽しく話せるような和気藹々としてコミュニティであった大学も、そもそもよく考えていれば知らなかったことも多いし、ああ他人なんだなあと思ってしまうことのほうが多いだろう。

ちょっと前の日経ビジネスに金沢工大の「CS対策室」の話が出ていた。
その組織がちゃんと機能しているかどうかはわからないが、大学が学生や卒業生や受験生と、どのようなチャンネルでどんなコミュニケーションをするべきなのか。私立大学はいま受験前の学生に対する一方的な宣伝には力を注いでいるが、特にいわゆるカスタマーサービスや顧客満足の向上という点では、まだまだこれからという段階なのだろう。

早稲田も父兄に学生の成績を送るようになったようだ。
世間は学生に対する管理を強める傾向にあり、父兄を顧客ととらえるならば、それはもっとも話だということになる。しかし実際にサービスの提供を受けるのは学生たちだ。彼らがどのような行為に満足し、成長していくかは、在学中の時間だけでは計れないものもある。僕が授業でやっていることは、たぶん学生生活の中でそんなに関心を持てるような事柄ではないように思うが、あとになって「ああこれやったなあ」と思って、もう一度勉強しなおしてもらえればいいなとも思っている。だけれども、「未熟な彼らにはちゃんと物事を判断できないから、何でもこちらが決めてあげるのだ」という姿勢は、つねに「大学のほうが都合のいいように決めるんだ」という方向に転じやすいのだということを、よくよく自覚しなければならないと思う。


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2004/11/26

探究心の源泉

学生時代に勉強していたとはいえないけれど、好奇心や批判的精神は、稚拙ながらも持っていたように思う。
いつも「何か面白いことはないか?」という、かかとが上がった状態で、いつも過ごしていた。もちろん、「そんなの下らん」という理由をつけて、消極的になっていたことはあったと思うし、興味本位で無鉄砲に行動して失敗したこともあっただろうけど。

その「面白いこと」というのが、ITの分野で、しかもテクノロジーそれ自体の習得とは離れて、法律やビジネスの世界に転がっている。それを伝えるのが、この5年間の僕に課された仕事であった。

ときどき、この作業に関する「中間自己評価」を一人行うのだが、だいたい絶望的な気分になる。学生に探究心が生まれないのは、きっと以下のようないかんともしがたい事情によるのだろう。

1)日本語ができない
最近大学生の日本語力低下についての記事が出ていたが、全国平均と比較して稚内の学生がそれほどひどいとは思わない。しかし絶対的にひどいのはひどい。文章が書けないというのは、自分も人のことはいえないし、仕方がないかなあとは思うが、口語でも、正確に自分の言いたいことを伝える能力がない。なんとも気の毒だ。
そして日本語を操る能力が欠如している結果、テキストの読解力が低下し、友達と議論するときの言葉も正確さを欠き、結果として面白いはずのものを面白いと感じることができなくなってしまっている。
「インプット-アウトプット」の基本動作ができないのは、誰のせいなのか。誰のせいでもいいか。大学に来て、いまさらながら漢字の書き取りもいやだろうけど、そうでもしないと、面白いものが発見できない悲しい4年間が待っているのだから仕方がない。

2)外国語ができない
日本語ができないのに英語ができるはずもないのだけど、英語を使う意欲すら欠いている学生は多い。
中学英語すらあやふやになってしまっているせいなのか、それとも中高で打ちのめされたトラウマなのか。
自動翻訳がこれだけ普及し、和英対照文で読むことができる現代においても、日本語と英語のそれぞれの対応関係すら理解できなければ、ほとんどお手上げということになるのだろう。
そしてこうも窓を閉ざしてしまうことは、すでにして「情報弱者」なのだということに、多くの学生は気がついていない。
学生はネットワーク環境に慣れしたしんでおり、新しいことをやろうとするけれど、新しいことに取り組むということは、少なからず外国語に接する必要があるということだ。P2Pであれ、パブリシティ権であれ、結局は日本語の文献を読むだけでは解決不可能な部分が出てくる。外国で読む意欲を失ってしまっているということがどれだけの損失なのか、散々言っているつもりだけど、どうもやっぱり伝わらない。

3)情報摂取能力
上の二つとも少なからず関係するが、言語の運用能力が足りなければ、文字から得られる情報は少なくなる。
都会にはたくさんの情報がシャワーのようにあふれていて、秋葉原といわず、東京のあちこちを歩き回っているだけで、非言語の情報、短いフレーズでのコピーなど、たいした言語能力がなくとも受動的に情報が入ってくる。それはそれで、商業主義にだまされる危険も増すわけだが、とにかく能動的な行動を必要としない情報摂取活動が保障されている。
田舎ではそうはいかない。それなりの能動的な情報摂取を続ける意思と能力がなければ、たちまち感覚が鈍ってしまう。2)はおろか、1)すらもない学生たちは、情報摂取への意思を持つための能力すら欠いているものもいるのだ。

僕が学生指導のために与えられた時間はごくわずかであり、そこには「単位」という強制装置が働いているがゆえの意識の減退がある。とりあえず出席だけはしておこうという状態。日本語と英語の能力を高めること、新しい問題についてもの情報提供、ブレーンストーミング、これらに検定試験で意欲を持たせる取り組み、卒業研究を仕上げさせる取り組みを加えると、もはや時間外労働にも限界が見える。

大学の機能が破綻しそうなのは、こうやってどんどん敷居を下げていくことにあるのだろうと思うのだが。
「大学では、教師は学生を大人として扱う」ということを、前早稲田総長の奥島先生が言っていたのをよく覚えている。そういうスタンスで7年前にスタートした僕の大学教員生活は、すでに破綻しかかっているわけだ。敷居を下げつづけて、僕に与えられたミッションは、日々不明瞭なものになり続けている。

期待していた今年の4年生が、卒論で惨憺たる状況にあるのを見て、また「中間自己評価」をやってしまった。

「いつまでそこでレベルの低さと格闘してるつもり?」
とは書いていなかったが、NYからのメールには、明らかにそういうニュアンスが含まれていた。
彼が今学んでいること、アメリカで感じていることには、僕がこの場所にいては感じ取れないものが多数含まれており、しかも僕に必要な刺激が多数含まれている。そして、そこに回帰していくために使うべきエネルギーを確保することは、学生のために敷居を下げ、格闘する努力を縮減させることと、決して無関係ではない。しかも最終的には、自分自身の「意思と能力」の問題と、直面せざるを得ない。

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2004/10/27

中森明夫講演会と大学祭終了

大学祭が終了した。
今回は模擬店、企画ともに多数あり、全体としては大いにもりあがったといえるだろう。
自分の担当しているゼミでも、恒例のベルギーワッフルのほか、エッグタルトもメニューに加わり、過去最高の売り上げとなった。学生たちの協力関係も比較的うまくいった。

個人的には、中森明夫さんと「女性自身」編集部の田邉さんの講演会に力を注いだ。もともと通常の講義期間中に設定しようと思ったが、市民も集めようとして学園祭にぶつけた。結果的に見ればその作戦は失敗だった。学生はみな模擬店やその他企画にはりついていて、思うように集まらず、市民も意外と中森さんを知らなかったため、集客に苦労した。北海道新聞と地元紙もそれぞれ紙面でとりあげてくれたのだが、なにせ前日北海道開発局主催の大きなシンポジウムが、学園祭と連動して同じ場所で開催されたというのが大きかった。もちろん趣旨はぜんぜん違う企画なのだが、なにせ開発局は建設業界に絶大な力を持っており、前日のシンポには、建設業界の関係者、市長を初め稚内市の関係者などがやってきて大賑わいとなった。ただ「背広族」たちは、そこに「動員」されているだけなので、学園祭本体とのシナジー効果はまったく生まれることはなく、大学とおじさんたちとのギャップがかえって際立つ結果になったように思う。「背広族」が学園祭につきあわなければならない義理ももちろんないのだが、一方の学生も自分たちの企画で手一杯でシンポジウムにあまり参加しなかったし、もう少し両者が接点を持てるような仕掛けを作るべきだったなあと感じた。

中森さんと田邉さんのトークは、個人的には非常に面白かった。芸能エンタメ裏情報から雑誌メディアの将来まで、という幅広いテーマでお願いしたが、見事にバランスをとってくださった。「裏情報」は稚内の人には聞いたこともない遠くの世界の話だったと思うのだが、それでも食いつきはそんなに悪くなかったと思う。学内的に「あいつ下らんことを企画した」と思われないように配慮したのがよくなくて、むしろ自由に「裏情報」で突っ走ったほうが、結果的にはよかったかなという気もする。

一番大きかったのは、ゼミの学生たちへの影響であろう。これは良くも悪くも、ということになるだろうが、いずれにしてもメディア関係者との接点を持ち、付き合い方を覚えるというのはいいことだったと思う。そういう意味で、限定的ではあったが、中森講演会のほうが、学生たちとの接点が生まれてよかったと思う。当初は一戸が勝手に始めた企画であったことや、中森さんを今の世代はほとんど知らなかったこともあって、学生たちもあまり力を貸してくれなかったが、当日は表に裏に十二分に働いてくれた。

打ち上げは、模擬店打ち上げと講演会打ち上げを平行して行い、途中から講演会打ち上げに学生たちが合流するという形になった。学生たちは最初気後れしていたようなところもあったが、だんだん酔いもまわって、最後は三人の来客と交じり合っていろいろな話をしていた。酔っ払いすぎて何をしゃべったか覚えていない人も多いようだが。

マスコミ関係の人と飲んでいると、いつもその場のノリでとんでもない方向に話が発展していく。今回も、大学や稚内市の方向性について、常にポジティブにいろいろなアイディアが出続けた。たいていこの手の話は酒の場での盛り上がりで翌日消えてしまうような荒唐無稽なものなのだが、ごくまれに、荒唐無稽なはずなのに、そのまま現実化してしまうこともある。その辺のバランスを知っていると、適当に相槌を打ったり、話を広げたりしていくノリになるのだが、学生たちの反応はなかなか複雑だった。案外まじめに反感をもち「あんなのとんでもない」と言っているのもいたし、適当に話をあわせているのもいた。テーマが「おたく」「アニメ」のあり方みたいなところにあったこともあるかもしれない。

しかし本質はたぶん別のところにあると思う。マスメディアはノリで新しい流行を作り出す。それにさしたる根拠がないことは、当の関係者もよくわかっている。一方で、草の根から新しいムーブメントが生まれる、SNSのようなものも実際に存在している。マスメディアはそのときそのときノリで、虚像を作り出し、旬がすぎるとあっさり見捨ているのだから、草の根の活動がきちんと根付いていくことは大事なことである。しかし、稚内ではどうか。稚内の小さな取り組みや地道な草の根活動は、「いいことだね」と言われるに至っても、なかなか人々の生活に根付くことがないし、まして街の外の人間をひきつけるものに育っていかない。たとえばSNSは大都市圏では支持を得て、まだまだ人口比率から言ったらたいしたことはないけれども、人口を拡大再生産する仕組みができてきている。それはある程度の動きができた段階で、マスメディアが注目してきたらであろう。首都圏のメディアは多様であり、ノリがよく、新しい動きを察知して、勝手にどんどん話を大きくしていくのである。
しかし稚内では、地元メディアが少なく、中央メディアへのアクセス(発信のためのアクセス)もきわめて限定されている。だから地道にやっていることに陶酔・満足しがちなのだが、メディア対応がうまくいっていないからうまくいかないという面があることは、一応出発点として確認したほうがよい。GREE WAKHOKイベントがたいして話題を呼ばなかったのは、われわれのおかれた現状をあらわしているのだと思うが、もう少しやり方を考えれば話が広がっていく可能性がないわけではない。企画段階での「ノリ」を、もう少し大きな動きにしていくような何かが必要だったのだろう。

幸いにも、東京人は稚内に興味を持つ。それは地元から見れば偏見と思われるようなものもあるが、北海道イメージは最大限生かすべきであろう。今回のゲストの二人も、いろんなイメージを広げて東京に帰った。それらはここでちょっと盛り上がるだけで終わるものもある。しかし、やはりそういうところでうまく機会を捉えて、ノリを作り出していくようなセンスが、稚内人にも求められているし、学生たちもそうなっていってほしいと思う。

指導教員がノリがよすぎる・ノリがすぎるというのはよくわかったと思うのだが、それを反面教師にするよりは、いいとこどりでうまくやる学生たちとなっていってほしい。

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2004/10/15

稚内北星、秋葉原移転の意義

東京のG大学の学生から、稚内北星の「秋葉原クロスフィールド」進出について、大学宛に質問が来た。
秋葉原の街づくり戦略について、ゼミで研究しているようだ。
誰も答えてないようなので、授業の準備をさぼって、答えておいた。
以下その回答。

稚内北星学園大学の教員をしております、一戸と申します。

以下の件、もしまだ本学からの回答がないようであれば、私のほうから回答させていただきます。この件については、学長の丸山不二夫がもっとも熟知しておりますが、なにぶん学長という立場上非常に多忙でありまして、ご質問への回答を書く余裕はおそらくないだろうと思います。とりあえず可能な範囲で私のほうからお答えしましょう。

> 私今ゼミで、秋葉原の街づくり戦略(ITビジネス等)について研究しています。
> 調べていく上で、稚内北星大学が秋葉原に進出することを知り、
> 詳しくお話を聞かせていただけないかと思いメールいたしました。

まず前提として、秋葉原の街づくり戦略そのものについて、本学が深くかかわっているわけではありません。したがいまして、ご期待に沿える回答になるかどうかはあまり確信がないです。あくまでこの計画に参加するものとしての考えです。


> 具体的な質問内容として、
> ・「秋葉原クロスフィールド」 計画への参加要請を受けた理由とはなにか。

秋葉原におけるIT産業の集積をすすめるにあたって、その一部として本学の取り組みがふさわしいと評価されたものと考えています。従来から稚内を拠点に地道につみあげてきた、Java,Unix,ネットワークを中核とする本学のIT教育が、今春開校した東京のサテライト校でも高い評価となって現れ、さらにそれが「秋葉原クロスフィールド」への参加要請につながったものと考えています。

本当の参加「要請」の理由は、要請する側に別途あるのかもしれませんが、要請された側の推測では、以上のようになります。

> ・秋葉原に進出することによるメリット、デメリットはなんだと思うか。

当方のサテライト校は現在、市ヶ谷にあります。本拠地を東京においていない本学が、東京でプレゼンスを高めるために「秋葉原クロスフィールド」のような知名度の高い取組に加わることは、非常に大きな意味を持つだろうと考えました。
つまり、東京の中で「IT産業集積地」となる場所に拠点を置くことにメリットがあると考えましたわけで、その意味では「秋葉原」というのが必須条件だったというわけではありません。

では秋葉原が今後「IT産業集積地」となるのかどうか、その点は期待を持ってはいますけれども、絶対的な確信があるというわけではありません。90年代終わりに渋谷に「ビットバレー」というある種のムーブメントがあったのをご存知かと思いますが、それと比較してどうかということになれば、立地条件で有利な面、不利な面、いろいろあるでしょう。

本学は、東京サテライト校を単なる連絡オフィスとしてではなく、主として社会人を対象とした教育活動を行う拠点として、設置しております。したがって通ってくる学生の利便性という意味では、市ヶ谷と秋葉原を比較して、今回の「進出」がメリットとなるのかデメリットとなるのかという問題はあります。単純に考えれば、東京の西側からのアクセスという点では、市ヶ谷に若干の分がありましょう。一方東京の東側、あるいは千葉やつくば方面からのアクセスは、秋葉原のほうがいいわけで、必ずしもこの点がデメリットになるとも考えていません。

街のイメージとしては、いまそんなに秋葉原がよいイメージをもたれていると私個人は思っていませんが、明らかにある種の「ブランド」ではあると思います。ただ六本木ヒルズが六本木のイメージを大きく変えたように、このプロジェクト
が「秋葉原」のイメージを変える可能性はあると思います。六本木ヒルズと同様の高い集客効果を持つわけではないでしょうが、またそれとは違う形で(電気街を進化させた形で)「IT産業集積地」に育てていければいいのではないでしょうか。

> ・「大学連携パーク」、「産官学連携パーク」とはどのようなものなのか、
>   具体的にはなにをするのか。

この点は参加する我々の側にも、必ずしも全体像が見えているわけではありません。全体として「何をするのか」は、全体のオーガナイザーに問うていただくよりほかないと思います。

ただ一点だけいえることは、本学の取組が、他大学や企業から正当に評価される素地にはなるだろうと思います。

これまで本学が取り組んできた教育研究活動については、古くからある大学のほとんどが実現できなかった新しいITを大学教育に積極的に取り入れるものとして、稚内という首都東京から遠く離れた場所にありながら、IT業界や他大学から高い評価を得てきました。この点は、本学が企業と協力して行ってきた、東京での各種セミナーの講師陣とその内容のレベル、さらに毎年夏に行っているサマースクールに参加する層(先端的IT技術教育を必要とする社会人やいわゆる有名大学の学生、院生)やそこで展開される教育のレベルついて、本学ウェブサイトで確認していただければ、おわかりいただけるものと考えています。

遠くにいても良きパートナーがいると思ってもらえるならば、訪ねてくる人はいたわけですが、隣にいたらもっと頻繁に訪ねてきてもらえるわけですし、深く知ってもらえるきっかけにもなります。したがって、さまざまな企業との連携や大学間連携の可能性には、実は大きな期待を抱いています。

おそらくは、単純なオフィス街ではなく、人と人、団体と団体をつなげる仕掛けが必要でしょうね。IT業界はまだまだ成熟しきってはいませんから、大企業中心の旧来型の企業間連携とは違って、人と人のつながりが大きな意味を持つはずです。私の知っている限りでも、非常にフットワークの軽い人たちが多いですから、会ってすぐに動き必要に応じてまたすぐに会えるという環境が整えば、大きなシナジー効果を生むと考えています。

> ・どのような生徒を狙っているのか。

3年次に編入する制度ですので、「生徒」=高校生は対象ではありません。

当初の想定では、通常の業務の中で新しいITの必要性を感じている、IT業界の社会人をターゲットとして考えました。この層に対する本学の訴求力については、すでにサマースクールや東京でのセミナーによって、ある程度の確信を持っていました。技術が急速に進歩する中にあっても、陳腐化した技術を用いたシステム開発や保守運用といった業務がすぐに消え去るわけではなく、実はそのタイムラグが、働く人たちへのしわよせとなって現れます。つまり、日常業務におわれる中で、気がついてみたら自分が働く中で培った技術は社会の中で陳腐化し、自らの労働市場における価値が低下してしまっていた、ということが起こるわけです。「使い捨て」ですね。これに対して、大学として真摯に向き合っていこうというのが、基本的な考え方でした。予想通り、「wakhokの教育を東京で受けられる」として、大きな反響がありました。

ITという、情報といい、多くの大学が学部を設置しています。しかし、実はこうした基本的な需要にこたえる技術教育は、大学ではすっぽり抜け落ちていることが多いです。これには、高校や受験界の文系・理系のような旧来型の仕切り方も影響していると思います。高校の情報教育もあまりうまくいっていませんので、相変わらず「雰囲気」だけでよく考えずに「情報系」学部に進む学生が多いのでしょう。したがって、現役学生の層、すなわち、短大、高専、専門学校、大学を卒業したての人たちについては、編入学の資格を満たすものの、「社会でどのような技術が必要とされているか」をご存じないので、あまり大きな反響はないだろうと考えていました。ところがそうではありませんでした。

○○さんの先輩の中にも、SEとしてIT業界に就職して、ほとんど一から技術を学んでいるという方がきっといらっしゃると思います。大学は「情報」や「IT」を掲げていてもほとんどなにもしていないところが多いですし、企業側もそれに
対応する形で、手厚い研修制度をおいて「入社後」の教育に力を入れてきました。つまり大学卒の「即戦力」というのは、ほとんど期待されていなかったわけです。ところが昨今は、中国やインドでの「オフショア開発」が流行してくるなど、「日本のIT開発でも、これを担う人材は必ずしも日本人でなくてよい」という時代が訪れつつあります。研修コストもその後の人件費も高い日本人の新卒が、IT業界でそんなに重宝される時代ではありません。

こういった背景もあるのでしょう。本学への3年次編入を希望する若い層は、増えてきています。本学としては、こうした背景を踏まえて、高い意識をもって学ぶ学生ならば、社会での経験が必ずしも十分ではなくとも、積極的に受け入れていこうと思っていますし、それがすなわち日本のIT産業の底上げになるものと考えています。


以上、基本的に私個人の考えを書いたつもりですが、本学全体の意思としてもそんなに外れてはいないと思います。さらにご質問がございましたら、どうぞご遠慮なく。良い研究成果が出ますことをお祈りいたします。

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2004/10/13

@IT FYI

先週金曜日から、@IT東京サテライトに関する記事の掲載が始まった。

詳細は差し控えるが、掲載の始まった8日の夕方から、東京サテライトの注目度はぐんとあがった。
8月からの努力が、ようやく一つ報われたような気がしている。
できあがった記事を読んでみて、あらためて自分たちの置かれているポジションがわかってきた。

「稚内」的なのどかな感覚から早く抜け出して、厳しい競争を勝ち抜けるよう東京サテライトをさらに進化させること。
その「進化」を稚内にも必要な修正を施しながらフィードバックして、学生を覚醒させること。
短くまとめるとそうなる。

「稚内」にある現状を、「稚内」感覚で評価し、「稚内」モードのソリューションを出す、というスタイルは、いますぐやめないと。

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2004/10/07

4年目へのブリッジ

今年の4年生の卒業研究も、例によって遅れ気味だ。
今年の学生たちはわりとみなアクティブで、就職のみならずその他いろいろな活動に忙しく、そのせいもあるのだが、例によって卒論を書くための準備作業がぜんぜんできてない。今日は夜遅くまで大学に残り、一人一人話を聞いて、ぐったり。

「読めない書けない」という、これまでの訓練不足を補うセンスがある学生はいいのだけど、そうではない学生はいつも大変だ。じゃあ事前に訓練を積んだらどうか。まさにそのとおり。少なくともずっと下の学年から所属していた学生については、責任を感じる。

訓練といって何をやるかだが、一つはアウトラインの作成。どういう論理構成をとるかという思考回路は、自分もそれなりにいつの間にか身につけたように思うのだが、実践的にそれ自体を目的にどのようにトレーニングするべきなのか。結局僕がテクニカルライティングを勉強しなおすしかないのかな。
ただこういうのは、振り返ってみて必要性を感じるものであって、最初からやらせると学生はついてこないような。

もう一つは、この前有斐閣からきた冊子に載っていた、要約の練習。法科大学院でも、資料の電子化に合わせて、膨大な判例資料を要約する訓練をしようという話であった。「まとめるといってもどうやってまとめたらいいかわからない」といって、そのままパワーポイントに抜書きだけを羅列して、しかも中身を理解していない学生が多い。その意味ではこの取り組みも有効だろう。

さて、これを4年になってからやるのでは遅い。もっと早い段階でやらないといけない。「読めない書けない」に加えて「読みたくない」学生たちに、どうやってこういう「訓練」調のものをやらせたらいいのか。欲張らず、中身はさしたる専門性のないたわいもないものにして、要約するという作業にまず集中させたらいいのか。

稚内の学生の中には、小中高の基本科目の勉強で挫折したが、得意のコンピュータでいわば「大学デビュー」をしていきいきとやっている者も多い。それはそれで学内的には教育の成功と見られていて、実際就職でも成功するケースが多い。しかし「デビュー」してみたけれども、それほど華々しい「デビュー」とならなかった学生には、やはり上のような別の意味での基本的実践的能力をつけさせなければならないのだろう。しかし「デビュー」以前の暗い過去に引き戻されるような、いわゆる「訓練」ものは、学生の意識をむしろ下げてしまう面がある。

東京サテライトでも稚内でもそうだが、今のカリキュラムに改善点を発見したからといって、そのギャップを埋める仕事を一人でできるわけではない。勉強すればできないことではない場合が多いと思うのだが、それでは体がもたない。

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2004/10/04

情報共有

数日前の「郷土愛」の弊害には、いくつかコメント、トラックバックをいただいた。ぼかした書き方をしたのと、いくつかの論点を一度に書いたので、コメントのポイントもいろいろだった。

まず稚内にも「外から見える稚内」についてちゃんと考えている人がいる、という意見。
それには同意する。でも、その少数の良識が全く通じる気配がないというのが問題だ。それと、良識なんかなくてもなんとかなる、という楽観的な立場に稚内がいないということがまず大前提になる。「観光」がなければどうにも立ち行かないというのは、都市の構造として非常に悲観的な状況だし、その頼みの綱の「観光」をなんとかする機運もないというのは、もはや絶望的だ。で、いいたかったのは、にもかかわらず「地域に根ざしてくれ」という大学へのリクエストは無茶苦茶なのだということ。何に根ざしたらいいのだろう?そんなに何もないんだったら「大学に根ざしてくれ」とこちらからもいいたくなるというのものだ。IT産業の集積について、何か考えていただいたことはあるのだろうか?学生の起業支援なんて話は、全く聞こえてもきません。

情報共有のチャンネルを作っていくことが大事というもう一つの意見。そう思う。
GREEのサービスを使って感じるのは、非常に都会的な情報共有スペースだということ。これは都会のユーザが多いという意味ではなくて、他人との濃淡のある付き合い方や濃淡のある情報共有があるという意味だ。東京では、電車の中や喫茶店などで、いやおうなしに他人の情報が入ってくる。しゃべっている内容が聞こえたり、服装が目に付いたり。で、他人のことは大して気にはしていないのだが、ちょこちょこ意識せずにいろいろな情報が入ってくる。また人ではなくても、たとえば電車の中吊りとか街に出ている看板から入ってくる情報もある。それらはそんなに集中して情報を取り入れる対象にはなっていないが、自然に入ってくる情報として意識の隅っこに置かれることになる。田舎にいると他人を凝視していろんな情報を得る人たちがいる一方で、自分にかかわりのない情報がちょろちょろ入ってくることが極端に少ない。情報が少ないから他人のことをよく見ているのかもしれない。
GREEは友達の意外な一面がわかるだけでなく、友達の友達のことがだいたいの人となりまでわかるようになる。Blogやおすすめの本の情報もちょこちょこ入ってくる。それらは必ずしも自分の興味の範疇に入るわけではないが、まさに「意識の隅っこ」に置かれることになる。「外の世界」を感じたからといって、一足飛びに「田舎者」でなくなるわけではないが、「中吊り広告」のない街の人には、結構大きなインパクトがあるように思う。

まず稚内掲示板の書き込みに、知性のかけらもないという状態は、なんとかなるかしら。2ちゃんねるの稚内版と割り切るにしても、あまりにもひどい。


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2004/10/03

中森明夫講演会

大学の学園祭で、中森明夫講演会をやることになった。
光文社「女性自身」の編集部副編集長田邉さんの紹介で、お二人で稚内に来てもらうことになった。

さて。

いかなるイベントであれ、稚内というところは集客に苦労するところだ。
いかに高名な先生がきても、あんまり高尚な企画には、街の人がついてきてくれない。今まで「大入り」だったのは、アニメの上映会だけ。そのときは親子連れが大挙して文化センターに押し寄せた、と学生たちが言っていた。

つまり「大衆」的なイベント以外はなかなか成立しづらいということだ。

中森明夫氏は、「Newsな女たち」をSpa!で連載していた人。
サブカルチャーに詳しい人なので、切り口によっては「大衆」的にもなるし、そうじゃないようにもできる。
まして「女性自身」はきわめて「大衆」的。田邉さんも非常に教養のある方であったが、こちらも「大衆」的でもそうじゃなくもできるだろう。

僕のやりたいことは、大衆的ではないほうなのだが、客入りを考えると大衆的な方向に行かざるを得ない。

さてどうしましょう。今週中には枠組を決めて、告知に入る予定。

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2004/09/30

「郷土愛」の弊害

かつて僕が高校生だった頃、青森の地元紙では、県内のどこの高校の誰がどの大学に合格したか、合格発表を受けてその情報が新聞に載った。早稲田大学に合格して自信満々だった僕は、ぜひ新聞に載せてほしかったが、早稲田は個人情報を新聞に流すようなことはなかった。今思えば当たり前のことだが、当時の個人情報に関する意識は、その程度だったのだろう。

その情報欄と同じものだったかどうか定かではないが、地元弘前大学や青森大学については、県内の高校だけでなく、全国のどこの高校から地元の大学に合格したかも掲載されていた。沖縄からも青森の大学に進学している人がいて、「こんな寒いところに沖縄からやってきて、生きていけるのかなあ。よく決心したなあ。」と思った。北大出身の母親は、「案外暑いのところの人の中には、雪が降る街がロマンティックだとあこがれる人もいるんだよ。」と言った。なるほどそうかもなあと思った。

月日は流れ、そんなのんきなことを言っていた僕は、青森よりさらに北の稚内にきて、「こんな寒いところにある大学」で仕事をしている。大学経営をめぐる環境の厳しさは、僕が子供の頃と比べるまでもない。厳しい環境にあって、「こんな寒いところにある大学」をどのようにプロモーションしていくのか。
1.こんな寒いところにあるけどすごい大学
2.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道の大学
3.寒いけど素敵な自然に囲まれた北海道にあって、なおかつすごい大学
むろん3が一番いいのだが、実は「素敵な自然に囲まれた」というのは、北海道の外には訴求できても、道内の人の心にはほとんど響かない。なにせ、札幌の人ですら、基本的にはみんな「自然に囲まれ」て暮らしているのである。そうするといきおい、力点は1の「すごい」の部分に置かれることになる。

市内某所では、現在大学に対する今後の支援内容について、議論が行われている。僕は議論の対象になっている組織の人間であるが、そこに参加している人間ではないし、それに影響を及ぼすつもりもない。ただ、個人的に思うことをささやかに書いているだけである。といっても、多少奥歯にものがはさまったような言い方になるかもしれない。

稚内という街が魅力的であることは、稚内北星学園大学の学生にとって望ましい状態であることはいうまでもない。理想はYale大学のあるNewheavenにあった。アメリカ北部にあるこの街も、NYから一時間程度であったが、小さな街であった。冬には結構雪も降るようだ。大学のキャンパスは街の中にあって、その周辺には学生向けの書店、コーヒーショップなどともに、大学付属の美術館、劇場などがあった。市民向けの商店街は別にあったのかもしれないが、少なくとも学生たちはほとんどそこで完結して生活しているようだった。よく考えてみると、なんでもそろう街という感じではなかったが、文化が生み出される雰囲気は漂っていた。ちょっと違うが、早稲田大学周辺の町並みにも、もう少し世俗的ながらそういう雰囲気は感じられる。

むろん理想は理想である。単科大学の稚内北星の規模で、学生だけを相手にした商売がそうそう簡単に成り立つとは思わない。しかし大学のある富岡地区をいかに発展させ、大学を中心とした街づくりをするのか、何か皆さん考えていただいたことはあるのでしょうか?富岡地区は勝手に住宅地として拡張を続けているが、そこにはトータルな街づくりプランが反映されているのでしょうか?
「一見さんお断り」の京都の町でも、外から来た大学生は大事にされる、とよくいう。本当のところはどうなのかわからないけれども、観光の街京都では、学生を長期滞在の「お客様」として、大事に扱うという所作動作ができているということではないのだろうか。観光リピーターキャンペーンをやっている稚内も、長期滞在の潜在的「観光大使」である学生たちに対して、同様のホスピタリティを発揮してなんら問題ないはずである。たとえ大学周辺を「大学城下町」として育てるのが無理であっても、じゃあ中心街に学生が集えるような交通手段は、十分に確保されているのでしょうか?みんな車ですよ。「イチオシWAK」という大学ウェブページ上の企画で、学生たちが市内の飲食店を取材しているのだが、どうも中央地区の飲食店に学生たちがあんまり出入りしていないようだ。交通手段がなかったらそうなるだろう。そんな大げさなことをやらなくたっていい。この小さな街で、毎年入ってくる大学生がいることの経済効果を考えてみたらどうだろうか。結構学生たちは、コンビニでものすごいポイントをためてますよ。コンビニ一人勝ちは、街の人も買っている当の学生も、あんまりうれしくないはず。

大学を街づくりにどのように位置づけるのかという問題が、今の議論には欠けている。といっても、市民講座のようなもので短期的な成果だけを求めると、企画した人だけが「やったような気」になるだけで、あんまり意味がないだろう。一番大きいのは街の人の意識と大学の意識のずれである。大学の企画する「高尚」な企画を今のところ市民は歓迎していないし、逆にあまりに世俗的な市民のニーズに大学がこたえる用意もない。「文化のにおい」が出てくるような街づくりがなければ、結局何も成果をもたらさない。といってもそんなに高尚なことじゃなくてもいい。学生が街に出て活動しやすくすること。端的にはこれだけだ。一部の興味ある学生や教員が、市民と交流するのではない。でもどこかの大学のように、地域対策で教員をみんなお祭りに強制参加させるのも意味がない。自然に人の交流が生まれるためには、小さな勉強会がいつもどこかで開かれていて、その情報がいろんなネットワークを通じて参加していない人にも流れていて、そこに対するアクセスが容易であること。まずその辺を側面支援することから始めたらいいのではないか。この面でも市民の大学へのアクセス手段が限られていることについて、もう少し考えがあったほうがいい。

今話題に出ている「カンフル剤」(地元の人は地元紙参照)はほとんど意味がないだろう。実態がどうあれ、「さいほくの街」というのは、外から見れば「住みたい街」の上位にくることは決してないところだ。谷村志穂にいわせれば「色のない街」である。この街が、上に見たような「大学を活かしたまちづくり」を展開するか、大都会に突然変異をしない限り、ほとんど意味がない。地元の人たちの「郷土愛」は、自分たちの街の客観的な立場を見る視点を曇らせている。たしかに稚内は外の人がイメージするほど大変なところではない。しかし外からどう見られているのか、よく考えてみれば、観光にせよ大学対策にせよ、「やったような気になる」だけの施策では、根本的な解決にはならないし、短期的にも大して効果を生まないだろう。「対策」の対象たる大学の側としては、そうした外枠での施策に抜本的な改善の兆しが見られないのであれば、自らの経営改善を第一に考えて、「街の魅力」よりも「大学の魅力」に頼らざるをえない。

たぶん解決策はある。ひとつの考え方は、ネットワーク。情報ネットワーク利用の質的向上と動機付けか。今の稚内市民には、街での生活にメリットある情報が、ネットワーク上に転がっていない。まずそうした情報の提供を促すために、民間セクター(具体的には市民のよくいく店)の情報をネットワークを通じて流し、なおかつネットワーク経由の情報にはありがたみがあるようにする。それと交通ネットワークの整備、それからこのネットワークは、観光客にとっても有益なものにすること。大学ではソーシャルネットワーキングが動き始めた。この動きは、市民のネットワーク作り、シームレスにつながる市民と大学のネットワーク作りに、確実に一役買うはずである。

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2004/09/24

Greeが必要かどうか便利かどうか

明日一限から授業なのでもう寝ないと。

さっきのGreeのところでコメントがついたところで、ちょっと思い出した。

東京で働き始めた頃、大学院の先輩達と食事をしていて、「一戸君携帯持ってるんだね、私まだなんで携帯が必要になるのか状況がわかんないんだ。」といわれた。いわれて自分が思ったのは、必要かどうかではなく、便利かどうかで自分は携帯を持っているんだということ。
たぶん彼女も今は携帯を持っていることだろう。あ、でも携帯もお金はかかるので「懐と相談」という場面はあるにはある。

さっき書いたように、僕は半年間「Greeってなんか意味あるのかな?」ってずっと考えていた。
WAKHOKの人たちは、技術的特性から入って「面白い」と感じられる人たちが多いのだけど、どうもそういうノリに僕はついていけない。もう少し具体的な中身の部分でメリットが感じられないと、面白いとは思わない人種なのだろう。

ただどうやらソーシャルネットワーキングは、やる前から「面白い」と感じられる人は少ないのではないだろうか。若い人がなんだかわからないけどいじくってみて、どんどんハマっていく世界なのだろう。その証拠に、Gree参加者の属性データでは、30代以上の割合が非常に低い。Greeを使うのに、少なくとも直接的な金銭負担は発生しない。でも、30代以上の人は、「これは何の意味があるんだ?」ということが別の意味での「負担」になってしまうので、とりあえずいじくってみようという気持ちにならないのかもしれない。

幸か不幸か僕はまだ、酔っ払ってへべれけになって「まあいいや、やっちゃえやっちゃえ」という類のドンチャン騒ぎを、やるような精神性は残っている。便利だから使っちゃえ、という感じで、あまり深く考えずに、新しいサービスを試してみるような精神も、きっとまだ残っているだろう。半年遅れの分、歳をとったということだろうけど。

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WAKHOK的なGree

教員の自分がやる気になったせいか、一戸ゼミでもGreeが急速に普及し始めた。

SFCでのブームから半年近く遅れている。指導教員のアンテナが鈍っているようでは、学生のアンテナが鈍るのもしょうがない。とはいえ、今日の時点で「稚内北星学園大学」というグループには23人、「一戸ゼミ」には9人が登録している。もちろん、早慶のような大所帯には及ぶべくもないが、北海道の大学でならば、北大の次に大きなグループがWAKHOKになるようだ。

丸安ゼミでは半年前には始まっていたのだろうし、自分も安藤先生からずいぶん前に招かれていたのだが。
この前も書いたけど、やっと意味がわかってきたところなのだ。

Gree、あるいはソーシャルネットワーキングの本来の意味が何なのかはさておいて、大学、とりわけWAKHOKのようなコミュニティで、これをどのように使うかが問題だ。もともと稚内もWAKHOKもコミュニティが小さいので、その小さなコミュニティだけに閉じているならば、あまり必要がない。Greeは友達の紹介文を相互に掲載するのだが、閉じられたコミュニティの中だけでその情報が流通すると、なんとも気持ちが悪い「ほめごろし」大会になってしまう。とりあえずSFCに半年遅れながら、一戸ゼミは名簿作りをGreeで実践中。OB・OGの皆さんもぜひ入って、ほめ殺しあってください。

一人の人間がいろんな種類のコミュニティに連なっていて、それらが人を介してシームレスにつながっていく。こういう面白さは、日々膨大な数の他人と道ですれ違っている都会人にこそ感じられるものなのかもしれない。

WAKHOKには今年から東京にサテライト校ができて、東京でも学生が在席している。東京の学生と稚内の学生は、8月のサマースクールをのぞけば、同じようなことを勉強しているにもかかわらず、普段顔をあわせることはまずない。たぶん一緒に何かやることで、お互いにメリットになることはみつかるんじゃないかと思う。まずはその辺からはじめるというのが現実的なところだろうか。

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