声楽家の伯母武村浩子のこと
昨朝、実家からメールがあり、横須賀在住の伯母武村浩子が亡くなったことを知った。「はとこ」からのメールについてエントリーを書き、Nancyさんから「新しく暮らす土地に親族がいる心強さ」について、コメントをいただいた直後であった。武村の伯母は、僕が大学在学中にもっとも世話になった親族の一人だ。
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昨朝、実家からメールがあり、横須賀在住の伯母武村浩子が亡くなったことを知った。「はとこ」からのメールについてエントリーを書き、Nancyさんから「新しく暮らす土地に親族がいる心強さ」について、コメントをいただいた直後であった。武村の伯母は、僕が大学在学中にもっとも世話になった親族の一人だ。
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いとこと顔合わせることもなかなかない暮らしをしている僕に、今日「はとこ」(またいとこ)から、突然メールが届いた。僕がまともに知っている唯一の「はとこ」だ。ともあれ、うれしい「再会」であった。
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300を超えるはてなブックマークがついている以下のエントリーを読んだ。
リンク: 20名超の会議を必ず1時間で終わらせる“ライブドア流”会議術 - livedoor ディレクター Blog.
無駄なおしゃべり好きで、立場上も気持ちよくお話ができる立場にいる、ごく一部の人を除いて、関心のある事柄だと思う。
最後に書いてある、「会議の準備には、会議と同じくらいの時間をかけろ」という合言葉を先に読んだので、それもしんどいなあと思ったのだが、なるほど納得の5か条が並んでいる。さて、僕が、現在・過去に出席した会議で、どこまで実践できているかチェックしてみよう。
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延々と報告事項だけが続く会議は、要するに、「聞いてないとは言わせない」ためだけに行われているだけであって、伝達方法としてはきわめて非効率的だと思うのだが、大学というところでは、その手の会議が結構多い。
「時間×人数」のコストがかかっているんだから、もうちょっと生産的にやりたいなあと思っている人も、結構いるとは思うのだが。その手の生産性に関心のある人は、大学なんていうのんびりした世界では働いていられないのかもしれない。
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久々に新潟に戻り、いつものジョギングをしている間に、日付が変わり、また一つ齢を重ねたことに気づいた。37歳。30歳とか35歳とか、その辺の節目のタイミングも、どんどんはるか昔のこととなり、不惑という二文字も見えてきているのだが、あいも変わらず惑ってばかりだ。
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情報処理学会の第39回電子化知的財産・社会基盤研究会(EIP)及び第64回デジタルドキュメント研究会(DD)に参加するため、鳥取環境大学に向かっているところ。
リンク: EIP研究会
このところ頼りにしているイーモバイルだが、まだカバーされていない4県のうちの一つが、鳥取なんだそうだ。
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11月に書いた下記の記述を見て、いとこが伯父の絵のデータを送ってくれた。
リンク: ICHINOHE Blog: 8年ぶりの長野で伯父の葬儀.
飯山の墓地から撮った、色づく山の写真は、画家だった伯父武村次郎の絵のようだった。
子供たちに蜂の子を食べさせようとしたり、昼間から酒びたりだったり、幼少時何かと「お騒がせ」だった伯父だが、ふらっと電車に乗って出かけていって、出先では制作に励んでいたらしく、飯山の風景画の作品がたくさん残っている。
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昨日と今日は、大学入試センター試験。
今年は、敬和学園大学も会場となった。僕にとっては敬和に来て初めてのセンター試験となり、かつ、初めて、すべての科目の試験監督を担当することになった。
二日間ぶっ通しの監督業務はかなりハードだった。事務処理能力の低い大学教員がこの業務を担当するわけだから、あれやこれやの人為的ミスが発生してしまうのも、やむをえないといえばやむをえない。さいわい、敬和学園大学では、大きなトラブルはなかった。
僕の担当した教室では、最後まで集中力を切らさず、がんばっている受験生が多かった。試験監督は、試験監督要領に基づき、余計なことをしゃべらず、マニュアル通り試験を進めるしかない。けれど、あの教室の一人一人が、ベストスコアを出して、志望校に合格してほしいと、心の中で思った。
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アップルCEOのスティーブ・ジョブズが、2005年6月スタンフォード大学卒業式で行ったスピーチ、日本語字幕をつけたバージョンが、以下のサイトで公開されている。すばらしい仕事。
リンク: mbp&co: ジョブズの卒業式スピーチを字幕で.
生と死をめぐる2つ目のお話のことは、以前読んだときにはあまり注目していなかった。「毎日を人生最後の日であるかのように生きる」べきというフレーズは、昨年「人生最後の日」について非常に強く認識させられた結果、非常に心に響くようになったようだ。
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予想以上の悪天候の中、大学ラグビーの決勝戦、39年ぶりの早慶戦を観戦してきた。大学ラグビーを観戦するのは、学部生のとき以来なので、前回きたのは15年以上前のことになるだろう。
リンク: asahi.com:早大が大学ラグビー日本一 決勝で慶大下す - スポーツ.
ラグビーの第44回全国大学選手権決勝は12日、雨の東京・国立競技場であり、早大が慶大を26―6(前半7―3)で下し、2季ぶり14度目の優勝を果たした。
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このところ、昔話が増えた。以前は、自分たち家族の話が多かったが、最近は、母が記憶している、祖父母の世代やそのまた上の世代の話が増えてきている。妹と僕が、意識して聞きだそうとしているからでもある。
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先日、妹が久々に近況を書いていて、いろいろ思うところはあったのだが、いつの間にか時が過ぎた。弟がこの世を去って半年以上が過ぎ、9月に納骨も終わり、公式の場所で弟のことを話題に出す機会もなくなってきた。こうなってくると、事情を知らない方に僕がその話題を持ち出すことはもちろん、知っている方もあえてその話題はさけるようになるので、家族で集まったときぐらいしか、弟のことは話題に出なくなりそうだ。
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昨日は某通信事業者さんが大学まで来てくださり、ウェブ社会やICT教育について、2時間ぐらいインタビューをしてくださった。これは掲載していただいてから再度アナウンスすることとする。
その後新潟市内に戻って、新潟大学法学部でゲスト講師をされた、結城未来さんを囲む会に参加した。
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ココログのメンテナンスによりすっかり更新が滞ってしまったが、月曜日に伯父仁科英明の葬儀に出席し、火曜日に新潟に戻った。新潟から長野までは、高速道路で2時間半ほど。途中、柏崎近辺では災害復旧工事の速度規制があったので、復旧するともうちょっと早く往復できるのかもしれない。
仁科の伯父というのは、祖母の葬儀のときに子供たちが合宿した(そして弟と上の妹が、生卵を割るのに連続して失敗した)山の湯旅館の引率を担当してくれた人だ。母の長姉の旦那さんなので、うちの両親よりもかなり年上の人だと思っていたが、実はちょうど70歳。誕生日が命日となった。
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大叔母、「ちおば」こと一戸道の葬儀を終え、さきほど東京に来た。
いつも眼鏡をかけていた「ちおば」は、眼鏡を外していたことと、闘病中にかなり顔がやせてしまったので、とても小さく見えた。1925年に生まれ、幼稚園教諭を長くつとめてきた「ちおば」の歴史は、本人のメモに基づいて、越山司祭から紹介された。知らないことがいろいろあった。
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さまざまな逸話を持つ大叔母、「ちおば」こと一戸道が、今朝なくなった。知らせは、新潟に戻る新幹線の中で受けた。彼女の晩年を僕はあまり知らないままに終わってしまったけれども、元気な頃にはずいぶんお世話になり、そしてまた僕ら子どもたちは、その頃を認識しつつも、彼女にちょっとビビっていた。
ビビっていたうちの一人である弟が、この春先に逝ってしまい、その後に、大叔母が逝った。こういう順番になってしまったんだなという感慨を、これからも毎回持ち続けるのだろう。
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セブン&アイホールディングスの鈴木敏文氏が、一昨年から中央大学の理事長になっていた。知らなかった。以下のインタビュー記事は非常に印象的だった。
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上越新幹線に乗って東京に向かっている。東京が近づいてくると、いつも当たり前に東京にいて、だからめったに連絡しなかった、亡弟のことが、またあらためて、ふつふつと思い出されてくる。彼はみなに先行して思い出される存在になったが、僕らも順番にひとしくみな「ふつふつと思い出される存在」となる。結果、長く生きた者がたくさんの「ふつふつ」を抱えて生き続けるが、しかしその長く生きた者もやがて亡くなって、それとともに「ふつふつと思い出される存在」であった人たちも、思い出されない存在になっていく。
JR東日本の社内誌トランヴェール7月号、巻頭エッセイで、1927年生まれの北杜夫が、若き日の軽井沢の思い出について書いている。夏の軽井沢では、遠藤周作宅でしばしばパーティが開かれ、文学者仲間、三田文学の青年や聖心女学院出の女性も多く集まって、「飲めや歌えやの大騒ぎをしたんだ」そうだ。でも「そういう作家たちも今ではすべて亡くなってしまった」という。「今ではすべて亡くなってしまった」というフレーズは、年配の人からよく聞くフレーズだ。たくさん抱えこんだ「ふつふつ」を吐き出したい気持ちが、そこに現れているんだなあと、あらためて思った。
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伊藤穣一さんのFlickrには、たくさんの人々の顔写真が載っていて、しかもみんないい表情をしているので、いつも感心している。スティーブジョブスとビルゲイツの対談を撮ったこの写真は、NewYork Timesにも使われている。
顔写真は、撮影する人とされる人の人間関係がすごく大事になるし、彼の撮った写真がFlickrに載ることをみんな知っているだろうし、彼はきっとコミュニケーション能力にすごく優れていて、みんなついつい撮影に応じてしまうのではないかと思っていたのだけど。やはりそれなりにためらいもあるようだ。僕もがんばろう。
リンク: Joi Ito's Web - JP: Dを終えて、そして皆に感謝.
でも僕はまだカクテルパーティーで快適な状態にはなれなくて、みんなと話しててもあまり時間のたたないうちに動いちゃうんだ。 基本的に僕はシャイみたいなんだ。 僕がフォーカスしてなくて、「何の仕事してるの?」っていう質問をされた後は特に具合が悪いな。
僕はセレブの写真を撮るのがうまくなっては来てるんだけど、それでもやっぱり近付いていって"Hi!"って挨拶するにはまだまだ抵抗がある。僕はもっとこういうこと克服すべきだよね。
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最近テレビを見なくなってしまったので、正確に記憶していないが、たしかテレ朝の報道ステーションで、2ヶ月に1回ぐらい、最近亡くなった人のことを映像でまとめたものが流されているように記憶している。あれを見ながら以前から思っていたのだけど、結構な有名人の訃報でも、2ヶ月に1回のまとめでは、ずいぶん前のことのように感じられることが少なくなかった。結局、今の時代の「時間の流れ」とは切り離して、長いスパンで悲しみを背負い続けるのは家族ないしそれに準ずる立場にある人だけで、ニュースに出てくるような有名人の死も、短期間で消費されてしまう。
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新潟の亀田というところにある、新潟向陽高校で、進路講話をさせてもらった。
ネットがつながらない中で、ネットの話をした。聴衆は高校1年生、計算が正しければ、91年生まれの世代だ。応対してくれた先生は、生徒の態度をずいぶん気にしていたけれど、僕はそんなに気にならなかった。
一部の寝ているメンバーを、覚醒させるチャンスを逸してしまったのはもちろん残念だけど、新潟全体としてみれば、高校生にウェブの話をして、それが自分の進路に関係あると自覚させることは大事なことだと思う。全員たたき起こして聞かせる必要は無いが、響くべきところに響かせることが大事。ハードルは低くないけど、今後もチャレンジは続けていきたい。
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昨日はいろいろな方から誕生日のお祝いメッセージをいただいた。
ありがとうございました。
青森で18歳の誕生日を迎えてから18年。その年の誕生日には、まだ進学先は決まっておらず、ぴりぴりとした時間を過ごしていたように思うが、その後合格が決まり、五能線の、夜は無人駅となる、「陸奥鶴田」駅で家族と別れ、3月に東京に引っ越した。青森で過ごした時期と、その後の時間は、とうとう並んでしまったことになる。
僕の場合は特に、1989年初頭が大きな分水嶺であった。世間への耐性を備えていくために、東京でずいぶん回り道もしたが、大事な時間がその後の18年間で幾重にも重なって、今の自分につらなっている。青森にいた頃の自分と、その後の自分は、二つの異なるアイデンティティのようで、時に衝突し、それは両親との衝突となって現れてくることもある。が、結局は同じ一人の人間なので、自分の中では適当に調整が行われているような気がしないでもない。いずれにしても、あの頃の自分と今の自分っていう区分が、なんとなくある。
いずれにせよ、今年は二つの人格の立場が、完全に逆転する時なのかもしれない。分水嶺を越えて、反対側におりきった状態ということになる。
昨年からいろいろと環境は変わり、新潟でもいろいろな仕事の仕方が、ようやく見えてきた。もたもたしないで、新幹線にもどんどん飛び乗って、研究活動の生産性をどんどん高めていこうと思う。
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青森の実家では、ネット接続がきわめて不安定な状態にあり、事実上の「活動中止」となった。そのおかげで読書に集中することはできた。
昨年は稚内-東京-新潟とめまぐるしく動き回り、10月に敬和学園大学に移籍。ようやくここでの動き方、課題が(ほんの少しだけ)わかってきたところだ。学校法人稚内北星学園に対しての仕事は、まだもう少し続きそうだ。これはこれで、つとめを果たしたい。
というわけで、かなり出遅れましたが、皆様あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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リンク: ITmedia エンタープライズ:「無意味だ」と言いながら、どうして会議の改善をしないのか (1/2).
「また会議だ。仕事にならないよ」「無意味な会議なのに、時間の浪費だ」「何とかならないのかな、ったく」…。現代の企業人たちはそうこぼしながらも、従順に会議室へ向かう。確かに無駄な会議によって浪費される時間や経費は、バカにならない。
一方彼らは、「会議は居心地が悪くない」と潜在的に思っているふしがある。実は会議に出ている限り、彼らはいかにも仕事をしている錯覚にとらわれ、そして現状のわずらわしい仕事から解放される口実を得られる。おまけに、会議はともすれば「責任」を分散してくれる。彼らは、無意識のうちに会議を歓迎してはいまいか。
このような背景があると考えると、会議を減らすというのは構造的に難しいことなのかもしれない。会議が増え始めたら、みんなの労働意欲が低下していると考えるべきなのか。
たしかにオンラインでの情報共有で十分なことを、会議で延々報告するのは、やめたほうがいいだろう。ただ口頭で報告すると、何かその意義がみんなに伝わったかのように錯覚するのかもしれない。しゃべってるほうも「やった気」になるし。たぶんほとんど伝わってない。たしかに伝わってない人には、オンラインだともっと伝わらないのだけど。
教授会の「報告事項」「審議事項」という二本立て形式は、きっと「お上」からの声で決まっているものなんだと思うが、「報告事項」はたいていの場合、わざわざしゃべるまでのこともない。その辺を踏まえて、「お上」からは、「報告事項」のオンライン化と「審議事項」への重点をはかるようなサジェスチョンを、もししていただいたとしても、教授会運営への不当な介入ってことにはならないだろう。会議のスリム化を、自己点検評価の項目に入れたらどうなんだ?
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香港行きの飛行機の中、ANAの機内プログラムで「ベストヒットUSA-タイムマシンスペシャル」を見ている。最近、ANAの国際線では毎回のお楽しみである。以前にも書いたような気がするようなしないような。この懐かし番組、小林克也が進行するおなじみの形式それ自体は、BS-Asahiで復活していて、BSデジタルの映るテレビを買ってから、一度だけ見た。ただ、今の流行曲ではあまり楽しくないので、結局それっきりになっているような気がする。
昔の曲が放映されていて気がついたのは、「あーこの番組は曲に字幕をつけてたんだな」ということ。ベストヒットUSAというのは、当時アメリカの流行曲を紹介するための、開かれた窓の一つであり、特に民放テレビ2局、民放FMのない街で暮らしていた僕にとっては、ものすごい情熱でチェックしなければならない外国への窓であった。字幕に目を凝らしながら、どうしてこういう訳になるのだろう、早くわかるようになりたい、でも何て歌っているのかそもそも理解できない、そういうもどかしい思いが、この番組を見ていると、思い出されてくる。
とりあえず今日分かったこと。Cheap Trickは、70年代に日本の熱狂的ファンが、世界的な人気の震源地となったこと。マドンナとマイケルジャクソンとプリンスは同い年だったこと。プリンスのKissの革新性は、エコーを用いなかったこと(なるほどそうだ)。Nirvanaは革新的だったらしいが、どの辺が革新的だったのか、小林克也から説明はなかった。今となってはWikipediaで追求できそうなネタだけど。
どうして僕がこういうことをリアルタイムで理解できなかったのか、こういう小ネタ的なことを小林克也は当時から言っていたと思うのだけど、やはり少年時代の僕は、今とは違う僕だったのだろう。不思議でしょうがない。
上京して、J-waveも聞けるようになり、外国の音楽もすっかりコモディティする。しかも一人暮らしの僕は常に金欠だから、CDを買って音楽を追及するということもしなくなった。英語はいつかできるようになりたいと思っていたし、多少の勉強はしていたけれども、留学もせず、外国貧乏旅行もせず、結局僕は無
為な時間を過ごしていたんじゃなかろうか。そういう苦い「失われた時間」の記憶を、この番組は思い出させているのかもしれない。
失われた「10年とちょっと」を経た僕は、大学で「国際派」っぽいポジションで仕事をしている。しかし依然として僕の英語は、相手に「気をつかわせる」英語でしかない。英語を英語として勉強するという姿勢は、依然として僕にはどうしても取れないんだけれども、ここから先、どうやって自分の能力を伸ばしていけばいいのか。まだまだ自分の「のびしろ」を疑ってやまない僕は、考えてしまうのであった。
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リンク: スルー力(りょく)の重要性: My Life Between Silicon Valley and Japan.
リンク: いやなブログ - スルー力カンファレンス (スルカン) 開催決定!.
いちいち気にしないタフさって、大事だと思う今日この頃。もともと気にしない性格ではあるのだが。スルー力というある種の「スキル」として見るというのが面白いところだ。
僕の「スルー」しているときの相槌は、結構バレバレなんだそうだが、そこも含めて、スキルアップにつとめたい。
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日曜から月曜にかけて、新潟-弘前を往復してきた。
走行距離、約1200キロ。帰宅後少し寝て、昨日の授業をこなし、また睡眠。
死んだように眠り、今朝ようやく体が元に戻った。これから月末にかけて、移動から移動の連続だ。
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本日の稚内での授業は、意外な方向で関心を呼んでしまった。
ソーシャルブックマークの社会性についても考えてみようと思ったのだが、土曜の朝のねぼけた状態で、ちょっと画一的なやり方を示してしまったのがミスであった。私にはいい勉強にはなったが、まさに失敗から学ぶ結果になった。一部学生は、事態を理解してくれたので、これもまた、ある種の怪我の功名かもしれない。
はてなの方には対策を講じていただいていたようなのだが、それでもせき止められないほどであったのだろう。
反省。
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ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG)からの情報。こういうところに出て行って、比較検討をちゃんとしたほうがいいです。たまたま来た営業の話を受身で聞いて、だまされてはいけない。でも営業の話をきかずに、自分たちだけで決めるのも、よくない。
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店の名前が台詞形式になっているクリーニング屋。市内の何箇所かで見かけた。新潟の人は変わったネーミングをするんだなあ、と思ったが、どうやら本社は鶴岡のようだ。
-http://onoderacleaning.co.jp/kimono/
リンク先下のほうの子供のキャラクタをクリックすると、「ママ、クリーニング小野寺よ」の肉声が聞ける。またビューティフルライフを連呼する、古めかしいCMソングもある。
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Papu's-Blogにこのブログが急激に更新されるようになったことに、少なからぬ驚きが表明されていた。たしかにそうだ。たぶん自分にとっては、新しい環境に慣れようとしているプロセスでもあり、新しい仕事の重要な一部分なのだと思う。
もちろん、また何かのきっかけで滞ることは必至だが、あまり続けよう続けようとは思わず、備忘録として書き続けていけばいいのではないかと思う。
「法律の先生」という僕に対するタグは、少なくとも学生からつけられるものとしては、もう過去のものとなった。僕はいま、「情報の先生」「コンピュータの先生」というタグをはりつけられつつある。もちろん、クラウドの中に小さく「情報法」とか「知的財産法」とか「法律」とか、もっと小さく「国際法」というタグは残っていて、僕の研究活動のコアがそっちにあることは変わらない。が、こうしたタグの変更は、意外と僕の行動に大きく影響しているのかもしれない。
とはいえ、新しい出来事に常にアンテナをはりつづけようというのは、そもそもこの世界で生きていこうと思った原点なのであるから、本来やろうとしていたことをやっている、といえなくもない。
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ミクシーの足跡を見て思い出したが、龍之介さんの後を追って、8月下旬にタバコをやめた。
2ヶ月が過ぎたが、状態はすっかり落ち着いた。
龍之介さんとは、7月にネパールに行った際に、空港等で一緒に喫煙所を探した仲だったので、彼女の禁煙宣言は、「そろそろやってやろう」と思っていた自分の心に火をつけた。ミクシーでの彼女の禁煙宣言と、それに対する周りのコメントを眺めていると、テレビでは和田アキ子が禁煙宣言させられそうになっているのが(音だけ)聞こえた。
「よし、じゃあやってみるか」
その後は、フリスクをはじめとするあらゆる食べ物飲み物を導入し、気をまぎらわせた。今回はそれに加えて、各種の禁煙に関する本やウェブサイトを熟読し、自分の体への悪影響や、それがわかっていながら中毒患者を増やし続けるタバコ会社や政府の姿勢、などのネガティブ情報を頭にすりこんだ。そういう情報が正しいかどうかは別にして、「だまされてはいけない」という意地になる気持ちが、禁断症状を乗り越えるには必要だった。
副作用としての体重増は避けられず、三度目の禁煙で、最初の禁煙前に比べて三段階太ったような按配だ。
というわけで、これ以上太らないためには、一度やった禁煙を元に戻さないことが重要のようだ。
東京はタバコの吸いにくい環境なので、禁煙も続きやすいのだが、新潟は喫煙率が高いような気がする。稚内でも周りの環境で気が緩みがちだったので、気をつけなくては。
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本日東京のマンションを引き払い、車で新潟に移動してきた。明日新居に搬入の予定。新潟ではBフレッツにすることになり、申し込みはしてあるのだが、開通は火曜日。それまでは、大学にいる時間を除けば、「ネット難民」となる。あるいはホットスポットに通うか。
運送屋が去った後、友人がたずねてきてくれて、築地すしざんまいで最後の食事。場内のすし屋に行列ができているときは、すしざんまいに行列はできないようだ。これで都心生活も終わり。感傷に浸りながら、マンションに戻り、さあ退出しますか、となったところで、ハプニング。
保管してあったスペアキーを入れた封筒がない。
どうやら引っ越し荷物に入れてしまったようだ。自分で持っていく荷物の中に入れていたつもりだったが、勘違いしていた。手荷物をひっぱがしてみるものの、みつからない。管理サービス事務所に事情を話して、何とか許してもらった。
ようやく車でマンションを出発したが、出発前に慣れない都心のスタンドで給油をしたところでまたトラブル。
セルフ給油所で、出てきたおつりがプリペイドカード。え、もう引っ越すって言うのに。。。
というわけで、八丁堀のスタンドのプリペイドカードが4000円ほど手元に残った。
言いたいことも感じていることも山ほどあるが、とにもかくにも、練馬ICから4時間弱。意外と早く新潟にたどりついた。期待も不安もあるけれど、明日から自分のできる限りのことで、がんばっていきたいと思う。
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9月30日付で、6年半を過ごした稚内北星学園大学を退職し、敬和学園大学人文学部に移籍することとなった。これに伴い、半年間の東京生活も今週で終了、新潟に引っ越すことになる。6年間、稚内で多くの方々のお世話になったが、こうして遠隔地からひっそりと「稚内」を離れることとなる。お一人お一人にゆっくりご挨拶することができず、なんとも心苦しい。が、これからも稚内のために仕事をすることにはなるだろう。またいつか。
一度東京に戻ってから再度地方に出るというのは、なかなか複雑な気分だ。田舎生まれ田舎育ちではあるが、実は一番長い期間を過ごした場所は東京だし、今回半年間を過ごした新川という街も、今までほとんど縁がなかったが、非常にいいところだった。結構去りがたい思いがあるというのが正直なところ。東京でもまた、この半年でいろいろな方にお世話になった。
新川を中心に東京で見つけた新しいお店や場所については、近いうちにまとめておきたい。東京駅から近いので、新幹線に乗る前にいくこともできそうだ。
新潟、新発田でも、新しい環境になじめるよう、努力していきたい。ここでもまた、新しい人々のお世話になることだろう。どうぞよろしく。
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金土日、二泊三日で稚内に出張。1ヶ月ぶりの稚内は、幾分温かくなってきていたが、稚内人としての気質・体質が抜けてしまっているのであろう、それでもまだやっぱり寒かった。また、これも「よその人」感覚だからだと思うが、案外稚内は落ち着いていていいところだなあと感じた。暴風雪の日に来ると、また感覚が違うのだろう。
稚内、札幌からヨシツグとユーミーが上京し、しばらく数日間我が家に滞在した後、ネパールに旅立つ。今の情勢にはいろいろな不安を感ぜざるをえないが、今のところ予定通りの派遣日程だ。すでに滞在中の2人と力をあわせて、4人で何とか突破口を見つけ出してもらいたい。
で、昨日帰ってきたばかりなのに、今度はこの後新幹線で新潟へ向かう。移動だけでもきついのに、授業があって、その他移動のためのチケットの手配もあり、いろんな意味で負担のきつい旅芸人生活を実感している。
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