社会人になったら新聞、というのは刷り込み?:サントリー次世代研究所「若者メディアライフスタイル調査」
先日情報通信学会でお会いしたサントリーの宍戸奈津子さんに、3月で活動を終了したサントリー次世代研究所の研究成果「若者メディアライフスタイル調査」の報告書を贈っていただいた。 ありがとうございます。
from shinyai
リンク: 刊行物・報告書 次世代研究所 サントリー.
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今年の情報通信学会は駒沢大学にて開催。
リンク: 第25回学会大会 | 情報通信学会 -The Japan Society of Information and Communication Research-.
2日目午後に「写真共有サービスの現状と課題」というタイトルで発表させていただいた。複数のセッションが走るなか、ご出席いただいた方、司会をしてくださった宿南達志郎先生に感謝。
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一昨日、都内で開かれた英語学習SNS「iKnow!」のユーザイベントに、お招きいただいたので参加してきた。ユーザと対話することを目的としつつ、メディア関係者も招かれていて、すでに何本か記事が出ている。 iKnow!を運営する、セレゴ・ジャパンから、事業本部長のマイケル長谷川さんが主にプレゼンを行い、代表取締役社長 Eric Young さん代表取締役会長 Andrew Smith Lewis さんも登壇した。
from shinyai
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[ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) 」の記事から、アジア経済研究所(アジ研)に関連して二つの情報。
1.フォトアーカイブス 1960年代の開発途上国
アジア経済研究所の職員が1959年~1968年に開発途上国に出張した際、調査記録等のために撮影したスライドフィルムを電子画像化したもの。
リンク: アジア経済研究所 - 図書館 - フォトアーカイブス.
「ご本人あるいはご遺族の方に使用許諾」を取って公開しているが、惜しむらくはCreative Commonsになっていないということだろう。
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サイバー大学の続報。
結局サイバー大学については、「口コミ」でどんどん話題増幅中だ。どのみち最初は「キワモノ」と見られてもかまわないつもりだろうから、これはまずまずの滑り出しといえそうだ。ちなみに、@ITは現在ソフトバンクグループに属している。
リンク: 入試ナシ、選抜はロト抽選で公平に! サイバー大学 吉村作治学長 - @IT.
日本の大学では産業界で即戦力となる人材の教育をしていない、とは長年言われてきたことだ。この点でもソフトバンクが出資しているだけあって、サイバー大 学はプラクティカルだ。例えばIT総合学科で「コンテンツ制作」について現場の一線で活躍するビジネスマンによる講義があるほか、長期間のインターンシッ プ制度や、ボランティア・留学プログラム、語学検定の個別指導といったメニューを充実させている。
この説明の「実践性」については、突破口日記: サイバー大学.が具体的な要求事項を羅列している。既存の「実践性」を標榜する大学でも、ここまでを「実装」しているところは少ないだろう。無名のWAKHOKが東京でそれなりに評価してもらえたのも、ここにニッチが存在したからだ。「一流のビジネスマン」から「コンテンツ制作」を学ぶというのは、少なくともIT産業が望むような地道な「実践」ではなく、デジハリ式の夢を語る世界に近い。つまり現実には「学生募集」という入り口がまず重要なのであって、目先の「派手さ」を捨ててまで、地道な「実践」を追求しないということになるだろう。もちろん地道さが評価されるべきだと思うが、それを社会が受容し、正当に評価する素地がなければ、結局は人の集まる派手なやり方を取るものが増えるしかないし、誰もそれを責められない。
こうした実践的教育に対しては、大学教育は教養教育や人格陶冶までカバーする全人教育であるべきだという批判がある。こうした批判に対する吉村学長 の言い分は、いささか歯切れが悪い。吉村氏は「ビジネスにも教養や理念は必要。サイバー大学の使命は教養ある社会人を育てる」と言うが、その一方で「ソフ トバンクと吉村作治がやったからITと世界遺産という学部ができたんじゃないかと言う方がおられますが、違うんです、いや、そのとおりでもあるのです が……」と口ごもる。考古学調査でいまやITは不可欠だと実例を挙げて説明してみても、ITと考古学という取り合わせのチグハグさは取り繕えない。
前段と後段は別の話で、誰も世界遺産学部が実践的だとは思ってないだろう。吉村氏の看板だけで、世界遺産をサイバー大で学ぶというちぐはぐな印象を払拭できるのか、みんなとりあえずはお手並み拝見といったところではなかろうか。前段の「教養教育や人格陶冶」、僕も「実践性」を看板とする大学から「教養教育や人格陶冶」を看板とする大学に移ってきたところなので、非常に考えさせられる。
ただ一つだけいえることは、サイバー大学で「人格陶冶」までカバーするのは大変だろうなあということ。
急激な「実践性」の要請の中で、「教養教育」の中身も見失われつつあるのは確かであり、現代的GPなどで、補助金というニンジンをぶらさげて「大学間競争」させてみたところで、まともな目標が設定されてきたとはあまり感じられない。ただもう一方の「人格陶冶」については、ずっと学生と粘り強く付き合い続けることが大事であり、教員が情熱を持って学生とともに大学に泊り込むようなことをするのが、実はもっともいいことなのかもしれないと思う。もちろん教員自身の「人格」に問題があるとちょっと厄介だけど、暗くなったら学生を大学から追い出すのではなく、常にキャンパスが学生を歓迎し、むしろそこに居させるような教育は、なかなかいいことなのかもしれないと思う。と、稚内に赴任した頃の自分を美化してみたりして。
で、サイバーに話を戻すと、実はネットでもできないことはなく、メンターや教員が「泊り込み」で学生とつきあうことができ、学生の側からゼミの「オフ会」(?)をやろうといいたくなるような関係になれればいいわけだ。その意味では、メンターを置くとか、ちゃんと質問に答えるとかいうのは、入り口に過ぎず(むしろこれだとカスサポ的な大変さのほうがばかりが想起される)、どういうバーチャルキャンパスを創造できるかが、成功の鍵を握っているのかもしれない。
Second Lifeは、僕のLet's Noteでは重たすぎるので、一度入ってみたきりになっているが、ああいう感じでキャンパスを作ったみたらどうなんだろう、とふと思った。
入学者はロトではなくスペックで決めます。
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リンク: 大学院に「携帯電話学科」登場--進む産学協同 - CNET Japan.
少子化にともなって、奇抜な学科が次々に登場するのは、日本も韓国も同じ状況だ。こうした現象に踊らされる人たちも、必修科目をスキップしても受験科目のレベルアップをしようとする人たちも、大学で学ぶことについてあまり考えていない点では、共通している。また、その内容を正確に伝えていない大学の責任も大きい。
そうした意味でも産学協同の研究は、企業や国、社会のニーズと直結した実用的な研究を行いつつ、人材を育てられるという意味でも有意義な手法なのだろう。企業の「青田買い」とは、収穫を見積もって米を先買いすることから発している言葉だが、優良米を得るには米作りから関わることも必要という意識があることを、韓国の企業と大学の協力体制から見て取れる。
こうした要請に大学がどう答えるか。企業から支援があって、学生が集まるなら、それでいいじゃないか。そうなりがちだが。入学試験を終えたら、後は卒業まで「ザル」となってきた、これまでの大学のあり方を改めるというところまでは、おそらく衆目が一致する。しかし、この時代にあって、学生をどこまで世の中に適応させるのか、どこまで教養主義でいくのか。そのバランスを議論しだすと、どこの教授会も終わらなくなりそうだ。
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「探究心」問題で、T先生からトラックバックがあった。同じ問題に対して、若干違う立場からのコメントだと思う。
地方の研究者には、同じ専門で議論のできる同僚がいない。
まさにその通りで、僕もその状態を4年半も続けている。
巷間言われているところでは、地方の研究者というのは、だんだん専門的な研究から遠ざかってむしろ「広く浅い」研究を志向したり、「地方の名士」となってあちこちに顔を出して自分を満足させたり、「学内政治」にうつつを抜かしたりするものらしい。僕も振り返ってみれば、それらしきことはみんなやっているような気がするのだが、まだこの三分野で満足感を得られる境地にはなっていないので、引き返せるようにはしているつもり。
おそらく「文系」に関しては、学部内で「軸」をもっと明瞭に作っていく必要があったのだろう。それは当初からあったはずだ。
しかし実態は、諸学の集合体にしかなりえていない。そもそもメディア系の文系学部や研究所は、おそらくどこも「寄せ集め」なのだが、基本はこの世界はミーハーというか、変わり身の早い人が多いのだろう、だいたい社会での流行が全体のパースペクティブを形成し、求心力となるようだ。携帯電話やP2Pやブロードバンドを軸にして、諸学が結集できる枠組ということだ。おそらくそこから先は、相互の領域には「不干渉」なのだろうけど、本を作ったり、紀要で特集をやったりして、利害関係がある種の求心力を形成していくのだろう。
僕がそういうことを企画してもいいのだけど、パースペクティブの形成においては、どうも「軸」の部分に法学が置かれることはないようだ。法学者ながらに教養があってそういう役割を果たせる人もいると思うのだが、そこまでの能力も腕力もない。
さて、じゃあ学生を育てて議論の相手に、という話だが、それは求める程度による。
たしかに「ミーハー」な僕は、ある程度は学生も関心を持つようなことを研究テーマにしているので、「最近はこういうのを研究しててさ。。。」という話はできる。
が、そこから先、専門家と話すのと同じ議論ができるかというと、それは無理というものだろう。
大学院時代、タイの大学院に留学していた人がいて、その話を聞いたことがあった。
タイでは特定の問題について、オープンマインドで、細かい論点についての解釈を議論することは少なく、どちらかというと、「知識」程度の浅い議論しかなかったという。本当のところはわからないが、今となってはなんとなくその気分はわかる気がしてきた。
去年から学生に、ビジネス著作権検定と知的財産検定の勉強をさせているのだが、これらに学生たちは非常に熱心に取り組んでいる。
検定試験の勉強をしていると、実際にはさらに追求していきたくなる問題がどうしても出てくるのだが、そこから先はオープンマインド、つまり「教わる」「覚える」という客観的知識を習得する以上の関心がなければならない。学生たちは、なかなかそこから先に進もうという雰囲気にはならないし、検定への最短コースに導こうと考える自分も、「まあそこから先はいろいろあるんだけどね。」という話で幕引きをする。
自分の学部時代のゼミでは、外交官試験を目指す学生が多かった。なので、似たような雰囲気は確かにあった。
しかし先生は、非常に豊富な引き出しから、さまざまな質問を繰り出して下さった。当時学生の何割がその話についてきたかはわからないが、僕自身が大学院に進もうと思ったのは、あのときのゼミでの議論がバックグラウンドにあるように思う。ただ、それは社会生活で必要な態度であったのかは、いまでもよくわからない。
昨今の大学教育の「実学化」は、おそらく「研究」の本質的な視点を学部教育から排斥する方向に進むだろう。
「そこから先」に進むよりは、「次の大事なポイント」に移ることを教師に要求するだろう。
それは僕が目にしている「現実」からすれば、いいことなのかもしれない。
しかし「振り返って役に立つ」ということもある。僕にとって学部時代のゼミでの議論は、「振り返って役に立つ」ことなのだが、それは僕がこの世界に進んだからこそ。
当時ゼミで学んだ仲間は、望みどおり外交官になった者もいるし、それ以外も多くは大手企業に就職した。彼らがいま、あの頃勉強したことをどう思っているのか。そこにきっと、この問題の答えの一部があると思う。
もう一点、一日あたりの学費、という話。
これはその通りなのだけど、僕も大学にちゃんと行っていなかったので、人のことは言えない。
ただ。
稚内では「学生と教員の距離が近い」という。たしかにそうだ。
しかし、そのことがそのまま「学生にとって教員が身近な存在である」と言い換えられるかというと、それはよくわからない。
ただたんに、「口の利き方」がわかっていない場合もあるし、親しげに話しかけてくる学生の後ろに、人と話すことが自体にしんどさを感じている学生もいる。
僕も感覚がおかしくなっているのだろう。妙に「恐縮」されて驚くことも少なくない。たぶんあれが平均的な学生像なのだ。
たぶん自分たちが思っている以上に、教員は学生を「支配」している。
なので、いくら「高い学費を払っているんだから」といったって、たぶん学生はそういう問題ではなく、面前にある「気後れ」のほうが勝ってしまうのだ。
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転職に勝てる資格(ビーイング関東版編集部) /転職・就職ニュース - goo 求人&転職
.com Masterと知的財産検定をがんばろうという、今のゼミの雰囲気は、とりあえず転職には役立つそうです。一般的には、転職に役立つ=就職に役立つ、だと思いますよ。
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カテゴリに迷うが、「学問」というほどのものではないかな。
「約束のトラックバック」になるかどうかわからないけど。
いろいろ世の中について考えはじめた人(たち)へ。
卒業していった皆さんがどうしても読んでくれなかった、レッシグ先生の「コモンズ」を今ゼミで読んでます。昨日読んだところに、リソースのコントロール方法についての記述がありました。リソースのコントロールの方法には、法や規範、市場、技術という種類があると述べられているいうことはおさえておこう、卒業生諸君。彼の議論は、非競合的なリソース(誰かとわけあっても減らないっていうこと)である知的財産の保護方法として、法が適切な機能を果たしているのかにここから向けられていくのだけど、ちょっとそれは置いておきます。ここで取り出したいのは、市場が世の中をコントロールするという考え方について。この本では、「前提」になる部分です。
「何でもかんでも国が勝手に決め付けすぎ」ということについて、考え始めたようですね。そうやってまずいろいろ考えてみることが大事です。
大まかには、そういうことを「規制緩和」というテーマで、世間では議論してます。
一般市民、一般企業の商売を国が邪魔すべきではない、というのは、まず原則として今の社会の基本原則です。憲法上も、営業の自由が保障されています。これは市場(しじょう)がバランスを取ってくれるという考え方に基づいています。つまり。高過ぎるものは売れないし安いものは売れる。売れたらちょっと値段上げてもいいかなと売るほうは考える。また、値段だけじゃなくて、品質のいいものは売れるし、悪いものは売れない。そうやって、世の中というのは、競争を促すことによってだいたいバランスがとれるもんだという考え方が、基本にあるわけです。この基本を貫くならば、人の商売に政府が口出しするのはけしからん話なのです。問題はその先。
でも「いいもの」ってなにかわかりますか?世の中、自分の商品やサービスを売りつけるために、いろんなうそをつく人もいるわけです。それを見抜くことは、我々消費者にできますか?たとえば電気屋さんに行って、店員のパソコンについての適当な説明をきいたときに、「ああこういう適当なトークにだまされて買う人もいるんだなあ」と思うことはありませんか?あるいは自分もよくわからないで口車に乗せられたりする人もいるかもしれません。肉の産地が偽装されていたり、BSE感染していたり。これは普通見抜けないよね。
それから、それを売り買いすることが社会的に望ましくないものもあるでしょう。麻薬とか銃とか。これも「いいものは売れるし、悪いものは売れない」という仕組みでは、排除できません。
それとここから先はもう少し複雑ですが。たとえば、先日市内のある本屋が突然閉店しました。どうやら新しく進出してきたビデオ店に併設された書店に、だいぶ客を取られていたようです。それが「競争」だといえばそれまでです。でも、そうやって地元の店が駆逐された後に、やっぱりここじゃ商売にならないからやめるわ、といって、外から進出してきた店も撤退してしまったらどうなるでしょう?どっちも人の商売だからほうっておいていいのだろうか。
どれについても答えをここで書くつもりはありません。でも、国が何も決めなかったらそれはそれで困りそうですよね。今のこの国のムードとしては「国がなんでも規制しすぎる」という雰囲気があります。おおむね僕もそれには賛成です。ただできれば、これをきっかけに、上にあるような問題について、もう少し考えてみてくれるとうれしいですね。
ああなるほどと思った人、もし日本国憲法のテキストを捨ててしまっていなければ、経済的自由に関する記述のところをもう一度眺めてみて。「あー、あいつの講義では何のことやらさっぱりだったけど、そういうことか」と少しは理解してもらえるような気がします。
大学って、「振り返ればそういうことも勉強したかも」っていうことが多いと思います。
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