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2007/11/15

8年ぶりの長野で伯父の葬儀

ココログのメンテナンスによりすっかり更新が滞ってしまったが、月曜日に伯父仁科英明の葬儀に出席し、火曜日に新潟に戻った。新潟から長野までは、高速道路で2時間半ほど。途中、柏崎近辺では災害復旧工事の速度規制があったので、復旧するともうちょっと早く往復できるのかもしれない。

仁科の伯父というのは、祖母の葬儀のときに子供たちが合宿した(そして弟と上の妹が、生卵を割るのに連続して失敗した)山の湯旅館の引率を担当してくれた人だ。母の長姉の旦那さんなので、うちの両親よりもかなり年上の人だと思っていたが、実はちょうど70歳。誕生日が命日となった。

リンク: ICHINOHE Blog: 「不安の種子」の連鎖:山の湯旅館の生卵.

弟の葬儀のときに、仁科の伯父さんもよくないらしいという話が出ていたので、長く患った末に亡くなったのだと思っていた。しかし実際には一度退院した後、しばらく元気にしていて、一ヶ月ほど前に再入院し、あっという間に亡くなってしまったそうだ。横須賀の伯父武村次郎に続き、父母の世代で亡くなった人はこれで二人目。順番とはいえども、上の世代の親族との記憶は、こうやってどんどん、当事者とは共有できない記憶になっていっていることを、再確認した。従兄弟は、一ヶ月前に祖母を亡くし、続いて父を亡くした。母(僕の伯母)の体調もあまり思わしくないようだ。周辺にいる僕のような親族は、勝手に思い出に浸っているが、直近の家族はきっと、もっと切実な問題に直面しているに違いない。

葬儀の後、仁科家以外の親族で、飯山にある祖父母の墓参りをした。2000年に亡くなった祖父宇田正の葬儀には、僕は稚内に赴任したばかりで出席できなかった。稚内に行く直前、飯山で祖父に会って、励まされ、その後稚内に引っ越した。葬儀の後、祖父のいなくなった飯山にも、ずっと行っていなかった。飯山も、道路が整備され、すっかり街並みが変わってしまっていた。秋田にいる叔父が相続した祖父母の家(母の生家)も、どこにあるか一人ではわからない。今度、叔父が飯山に戻っているときにでも、幼少時に祖父が見せてくれた、ノルウェーその他スキーの大会で集めたさまざまなグッズをもう一度見に行って、写真に撮ってこようと思う。

仏壇の前で、毎晩のように、先に逝った祖母に語りかけていた祖父だったが、祖母や曽祖父とともに、たしかに墓に葬られていた。墓や遺骨は故人を偲ぶ「形骸」でしかないと、今でも思うけれども、しかし故人との思い出を振り返りながら気持ちを新たにするためにも、この「形骸」を訪ねることは大事なんだなと、あらためて思った。一緒に行った伯母が、移動する車の中で、「信哉が近く(新潟)に来て、おじいちゃんが生きていたら喜んだだろうね。信哉はかわいがられてたから。」と言った。それはどうかわからないが、祖父母に受けた過去のさまざまな恩義のことを、あらためて思った。

祖父母の家からはスキーのジャンプ台が見える。長野オリンピックの時には、ジャンプ競技の練習に使われると祖父は言っていたが、オリンピックの頃にはすでに体調を崩していたので、自宅から練習風景を見ることができたかどうか。僕も祖父の家でジャンプの練習を見ようと思っていたのだが、結局行くことができなかった。祖父は長野県のスキーの発展に功績があったので、ジャンプ台の近くに、祖父宇田正の顕彰碑があるという。お墓参りの後、ジャンプ台の近く、先に述べた山の湯旅館のところまで行って、みんなで探してみたのだが、すで薄暗くなっていて、見つからなかった。顕彰碑をせっかく建てていただいても、親族がどこにあるのかわからないと、ちょっと困るので、今度また探しに行こうと思う。思い出深い場所となった山の湯旅館は、いまも健在だった。

Hotel Yamanoyu, Iiyama, Nagano, Japan

結局この日は、両親が宿泊している二番目の伯母の家(山口家)に行き、そのまま自分も泊まることにした。ドクターストップでお酒の飲めない伯父が、客人を口実にお酒を飲み、僕と父もそれにつきあい、宴会は大いに盛り上がった。山口の伯父とお酒を飲んだのは初めてだと思うが、この盛り上がり方は、横須賀の三番目の伯母の家で、伯父武村次郎と飲んでいた頃のことを思い出させた。飯山の墓地から撮った、色づく山の写真は、画家だった伯父武村次郎の絵のようだった。

Iiyama

子供たちに蜂の子を食べさせようとしたり、昼間から酒びたりだったり、幼少時何かと「お騒がせ」だった伯父だが、ふらっと電車に乗って出かけていって、出先では制作に励んでいたらしく、飯山の風景画の作品がたくさん残っている。

今回僕は、たくさんの思い出のかけらに遭遇した。ただ、この思い出のかけらとこれからどう付き合うのかも、ちょっと考えさせられた。祖父母の世代はすでにこの世になく、父母の世代も徐々に元気ではなくなり、僕らの世代も弟が欠けた。うちの両親、妹たちは長野にはいないので、結局つながりとしては、母とその兄弟間の付き合いに依存することになる。僕らの世代はいとことのつながりなので、上の世代に比べれば、これから先、長野とのつながりは希薄なものになっていくだろう。すでに弟がいなくなったことで、70年代後半-80年代前半のごろの長野での記憶は、我が家では母と僕だけのものとなりつつある。というのも、あまり自覚はなかったけれど、年の離れた妹たちと僕では、祖父母や親戚との思い出の中身が、まったく違うのだ。

仕方がないことなのかもしれないけれど、薄まっていくつながりや記憶の共有に対して、どういう抗い方があるのか、今のうちに考えておいたほうが良さそうだ。

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11月に書いた下記の記述を見て、いとこが伯父の絵のデータを送ってくれた。 リンク [続きを読む]

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