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2007/10/13

弘前で昔の記憶を収集

大叔母、「ちおば」こと一戸道の葬儀を終え、さきほど東京に来た。
いつも眼鏡をかけていた「ちおば」は、眼鏡を外していたことと、闘病中にかなり顔がやせてしまったので、とても小さく見えた。1925年に生まれ、幼稚園教諭を長くつとめてきた「ちおば」の歴史は、本人のメモに基づいて、越山司祭から紹介された。知らないことがいろいろあった。

一戸家本家の墓の中には、13年前に亡くなった、祖母の骨が原型を留めていた。人間の肉体は、ゆっくりゆっくり土に還る。当たり前の現実をあらためて確認した。
隣のりんご園のりんごは、食べごろになっていた。弟が眠る墓のすぐ近く、手の届きそうな場所に、たわわに実っていた。

兄弟姉妹で最後の一人になった、祖父の末弟である大叔父の、がっくり肩を落とす姿が、すごく印象的だった。ずっと無口だった大叔父が、夏ごろから饒舌で社交的になってきたのを感じていたのだが、今回は特に饒舌で、僕や司祭にさまざまなエピソードを語ってくれた。

1.大叔母ちおばは活発な一人娘で、どこへでも歩いて出かけていって、よく木に登っていた。一戸家は旧東奥義塾近くに土地を持っていて、そこにさくらんぼ がなっているというので、ちおばはたびたび使用人(小作人?といっていた)を引き連れて、さくらんぼを取りにいっていた。
2.教会墓地の中には、家屋があり、教会からみんなで歩いてきて、そこで休憩することも多かった。そのときもちおばが、率先して木に登っていた。この家屋の扉やふすまがたびたびなくなるというので、そのうち家屋はなくなった。
3.弘前昇天教会礼拝堂の正面中央には、昔からイコン画が飾られているが、あれは中村司祭が「外国から」持ってきて、とりつけた。どうやってつけたか忘れ たが、大叔父が上によじ登った記憶がある。(46年に笹森司祭が満州から戻ったときには、すでにイコン画はとりつけられていたそうなので、45年ごろであ ろうか。その頃どうやって運んできたのかは不明だ)
4.父も叔母も、ちおばに絵の指導を受けていたらしく、明らかに自分の画風とは異なる作品が、学校に提出されている(父ははっきり覚えてはいない)

断片的なエピソードは、こうやって少しずつ出てくること。でも、あとどれだけの時間が、収集のために残されているのか。

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