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2007/08/22

「成功体験」を捨て、学生の「立場」で考える大学

セブン&アイホールディングスの鈴木敏文氏が、一昨年から中央大学の理事長になっていた。知らなかった。以下のインタビュー記事は非常に印象的だった。

リンク: 学生の「ため」ではなく学生の「立場」で | ナジックリリース | 株式会社学生情報センター.

大学経営のノウハウというのは、いろいろ語られてはいるけれども、いまだに、まともに確立されたものはないのだろう。あまり経営改革が変な方向に進むと、ただ単に教員の研究教育活動への締め付けになったりするので、教員はやぶへびにならないよう、気づいていても黙っているケースが多いと思う(そもそも教員の意見なんて聞いてない場合も多いと思うが)。いきおい、大学の本来機能である研究教育機能をあまり理解していない経営陣が、妙な方向に改革の舵を切ってしまい、ますます組織は妙な方向に向かってしまう。教員は相変わらず蚊帳の外でぼやいているが、自ら火中の栗を拾うつもりはない。中小の大学だと、そういうケースは多いように思う。

そういう意味で、経験豊富な企業経営者に舵取りを任せてみようという中央大の決断は、賛否あると思うが、なかなかの英断というべきだろう。

僕が奉職した/している二つの大学では、いずれも教授会運営は民主的に行われ、形式的には理事会が決めることであっても、教授会の提案がおおむね了承されているように思う。それはつまり、「現場の声」が経営に反映されるということでもあり、強力な理事会組織の下で、教員がコマとして使われるようなことにはなってないという意味だから、教員としては、喜ぶべきことなんだと思う。

が、しかし、「現場の声」というのは時に厄介なものだ。
以下はあくまで一般論だということをお断りした上で(かつ自戒も込めつつ)。

「学生のため」と称して、自分に都合のいいことを押し通そうとする人は多い。その場で「学生の皆さん、これは皆さんのためになっていますか?」というアンケートは取れないので、結局のところ、声の大きさとか多数決とか、そういうことで、「学生のため」という正義は決まってしまうことが多いように思う。鈴木氏はこの問題に、以下のように答える。

――「学生のため」の視点が必要だと。
鈴木) 小売業でも同じなのですが、今の時代に本当に必要なのは、「顧客のため」「学生のため」ではなく、「顧客の立場」「学生の立場」で考えることで す。「ため」も「立場」もその人たちのことを考えているように見えますが、決定的な違いがあります。これが「本当のようなウソ」の一つです。
「ため」は自分の経験が前提になるのに対し、「立場」で考える時は、自分の経験をいったん否定しなければならないからです。

もっともだと思う。教員は学生に新たな知見を与えるのが仕事なので、「彼らはまだなにもわかっていない」という前提に立ってしまうこと多いけれども、「学生がどのように考えているか」を「学生の立場」で考えることを、忘れてはならないし、たしかに学長の率直な意見には必ずヒントが隠されている。にもかかわらず、学生が気を使って言っているポジティブなコメントを、自分の都合のいいように誇張してしゃべっているケースが、いかに多いことか。誇張して述べられた意見は、「いずれにしてもこれは学生のためになるんだから」という、別の論理で補強される。そうすると、学生のためだったのかその人のためだったのか、よくわからなくなる。その人のほか、周りの教員も利害関係が一致してしまう場合もあり、それがまた厄介だ。

そしてもう一つ、過去の成功体験を捨てること。企業経営の世界では言い尽くされた言葉だが、大学経営、特に経営資源の限られた中小の大学の経営においては、非常に難しいことだ。

 

――理事長の表現を借りれば、「過去の成功体験を捨てろ」ということですね。
鈴木) 過去に縛られるのは、成功体験がその人、あるいは組織にとって、非常に心地のよいハッピーなものだからです。だから、難局になればなるほどそれを 思い出して、もう一度同じようなことをしてしまう。過去の成功体験から抜けきれない人間は、当然、顧客や学生、市場の変化に対応できません。しかし、困っ たことに、当の本人がそれに気づいていないことが多いのですが……。

中小の大学では、過去の成功をもたらした関係者はたいてい、その後も経営の-少なくとも教授会の-中核たる地位にあり続けるので、本人が自ら成功体験の記憶を放棄してくれない限り、会議体全体としてパラダイムシフトに適応するのは難しい。またさらに深刻なのは、成功体験に基づく次の一手に、多少の違和感を感じている人たちがいたとしても、そう簡単には代替策が見つからないということだ。小さな大学は、もしそのような代替策を見つけられたとしても、それに対応した人事異動を行えない場合が多いと思う。それが現実だ。

僕は敬和学園大学の人文学部国際文化学科所属で、「情報」を担当している。「傍流の傍流」にいるので、僕の担当科目を非常勤講師が担当することにして、僕を追放しても、経営的には大きな痛みはないだろう。人件費の圧縮方法としては、一つの選択肢だ。ただこういうポジションにあっても、教員というのはその持ち場である教室で努力を続け、その結果、僕の教えた学生が成長をとげてくれれば、それで自分の役割の大半を果たしていることになる。もし仮に、経営的には人件費を食いつぶすばかりと思われ、学部や学科の看板として役に立たないと思われていたとしても、僕はそんなに恥じることはないだろうし、解雇されるなんて思いもしない。この、「自分の役割の大半」という教育活動は、各人の専門分野に発しているものであるから、僕のように研究分野に幅のある人間でも、仮に環境の変化に伴ってその担当領域の変更を求められたとき、その拡張性にはおのずから限界がある。また、そうやって間口を広めることそれ自体を拒否する人がいるとしても、教員同士ではそれを非難できない。

中小の大学経営者は、こういう制約の下、関係者の力とやる気を組み合わせて、最大公約数で大学経営を改革するしかない。しかしそれは激変する環境にあっては、生ぬるい改革に終わりがちだ。
(最大公約数をかえりみない経営もありうるけれど、そうなると教員の士気は極端に下がってしまう。)

中央大学に限らず、大手私大の取り組みの多くは、中小の私大にとって、直接適用できないにしても、傾聴に値するものが多い。「そういうのは大手だからできるのであって...」というネガティブな意見は、それ自体として間違っているとは思わないが、さまざまなチャレンジを否定するための口実に使われていることが多い。気をつけたいものだ。

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