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2006年12月10日 - 2006年12月16日

2006/12/15

J-CAST ニュース : 秋田経法大が「ノースアジア大学」に名称変更

秋田県内は別にして、県外の人は、こうしてJ-CASTがとりあげでもしなければ、誰も気がつかなかったような気がする。

リンク: J-CAST ニュース : 秋田経法大が「ノースアジア大学」に名称変更.

地域性を前面に出した学校名が、「足かせ」になっているケースは結構あると思うが、新しい名称をつけたところで、よっぽどがんばらないと「ブランド力」を得るところまでにはいたらず、中途半端な状態に陥りかねない。決断のタイミングは難しい。「サイバー×ソフトバンク×吉村作治」の、サイバー大学のような特殊事例を除けば、たいていの場合にはゼロからコツコツ努力して、評価と知名度を確立していくしかない。でもコツコツ努力して評価と知名度を確立した学校は、もう学校名を変更する必要がないので、校名を変更するのは、たいていの場合そういう実績を持たない学校なのだろう(秋田経済法科がそうだとはいわない)。

秋田経済法科の場合、こうしてJ-CASTが拾ってくれたので、とりあえず「人知れず名前が変わってた」という事態になる恐れは、多少緩和された。「『北アジア』なんて大きく出たけど、中身は秋田スタンダードのまま」といわれない体制を整えれば、「正直マーケティング」で大化けするチャンスをもらったということにはなる。

日本ネパール間でのIMの役割

僕が前任校に在職していた最後の時期に、前任校からネパールに派遣されたメンバーは、一人を除きすでに半年以上の期間を、カトマンズですごした。それぞれの持ち場で、努力してくれているようだ。

僕がまだ連絡役をつとめていたときは、MSNメッセンジャーやSkypeのテキストチャット機能をできるだけ使って、彼らと気軽に話をするようにつとめていた。実はマイク付WEBカメラも買って持たせたのだけど、ネパールの回線が遅くて使い物にならなかった。が、チャット機能を使ったこのやり方は、電話以上にある意味時間をとられるし、時差も結構あり、その辺がネックではある。

一方メールの場合、口語体よりはどうしても硬い言葉遣いになるし、そうすると文章力の拙さにより無用な誤解が生じることになりがちだ。特にネパールのメンバーは、現在又は過去に大学に在籍していたメンバーであるから、もともとの立場が教職員と対等ではなく、なかなかストレートなことをメールに書きにくい。かといって、まわりくどいけど強い主張を書くというような芸当はあまりないので、結局語調が弱すぎたり強すぎたりして、ニュアンスを伝えきれないということになりがちだ。

また、IMの場合には、(もちろん対面には及ばないけれども)切迫感等の空気がなんとなく伝わってくるのに対して、メールの場合にはそれがあまりない。メールだと「スルー」できてしまうのかもしれない。

ネパールは国際電話料金も高いし、インターネットも遅いので、スカイプでの通話も難しい。日本国内で使っていると、テキストチャットでは細かいニュアンスが伝わらないよなあと思いがちだけど、そういうネパールのような環境を前提にすると、現地の空気を汲み取って、クリティカルな場面で判断が遅れないようにするのに、IMは結構役立つんだなと最近感じている。

ソーシャルブックマークの情報操作

11月にはてぶで騒ぎ(学生に一斉にはてぶ登録させたら、意図せざる「情報操作」が起こってしまった事件)を起こしてから、ずっとこの問題について考えている。米国のdiggでも以下のような問題がおこっている。

リンク: ランキングをめぐるもう1つの戦い--急成長したdiggを狙う情報操作 - CNET Japan.

人間によるチェックで、情報操作を意図した「不穏な動き」はかなりの程度把握できるような気がする。11月のときも、中身のない学生のブログにどんどんブックマークがつきはじめてから、結構早い段階ではてなの人も異変に気づいて、私に連絡をしてくれた。そうはいっても、限界があるだろうとは思う。

この手の「スパム」の問題は、スパムメールとちがって、普通の人にはなかなか理解されない類のものではないかと思う。僕もまだ、自動生成された意味不明な文章の書かれたブログ、のからくりについて、100%理解できていない。

Winny裁判:暫定的に

昨日授業・会議ともたもたしているうちに、続々とWinny事件京都地裁判決関連の記事が出て、読みきれないうちに時間が経った。まああわてずゆっくり考えてみたい。とりあえずここまでのところ。

ここまで読んだところでは、佐々木俊尚さんの記事が一番明快に問題を解説していると感じた。

金子被告の意図が著作権侵害ではなかったのだとしたら、その行為がなぜ「著作権侵害の幇助」に問われなければならなかったのか? 意図はしていないが、結果的に侵害に利用されれば、それは「幇助」となってしまうのか?

弁護側の、検察側の描いたシナリオを崩すことはできた、という意見はたしかにそうだったんじゃないかという気がする。にもかかわらず、幇助する「故意」が、どのような論理で導き出されているのかは、気になるところだ。この辺は判決文で後日確認したい。

一方で高木浩光さんが判決前日に書いた問題提起、「 Winnyの問題で作者を罪に問おうとしたことが社会に残した禍根.」がかなり話題をよんでいる。かなり鋭い指摘。高木さんの文章は難しいという方には、「 Pybigi 高木氏の主張の読解問題.」の冒頭部のぶっちゃけ解説がよさそうだ。

意図せざる情報の流出・流通がもたらす恐ろしさは、この間どんどん鮮明になってきている。でも「恐ろしい」だけで、普通の人の理解は止まってきていて、現在の「Web2.0」とされる動きについても、高木さんの言うようなこうしたネガティブ面についても、イマイチ理解できてない人は意外に多いんじゃないかと感じる。こうした社会の中での「乖離」があるなかで、なんとなく法改正の動きが進む恐れはあるのかもしれない。

憲法とか教育基本法のような情緒的にも反応が出やすい領域と違って、この手の話題に反応できる人は限られるし、やみくもに「危険性」をあおって変な方向に改正論義を進めた場合に、「なんとなく賛成」世論を作り出しやすいような気もする。つまり、「ウィニーのようなソフトによる違法な情報の流通は、権利侵害コンテンツのダウンロードのところから規制しなければ、防ぐことができない。その被害は甚大だ。」なんていわれると、まあたいていの人はなんとなく「そうだなあ」と思ってしまうだろう。著作権保護期間の延長問題も、これだけ話題になっても、ほとんどの人はあんまり関心がない、というかよく意味がわからないんじゃないかと思う。

2006/12/12

Wordieは写真のないFlickr

辞書好きって結構いるんじゃないかと思う。

リンク: TechCrunch Japanese アーカイブ � Wordieは写真のないFlickr.

自分が気になる単語を登録すると、それに関する定義が載っている(または載っていそうな)サイトへのリンクが同時にリストされ、ウェブ上にある定義等を参照できる。もし載っていない場合には、wikipediaだったら自分で定義を書くこともできる。

 

何がフリッカーなのかはまだよくわからないが、要するにフリッカーで同じタグをつけた人の写真が見られるというのと同じように、同じ単語に興味を持った人のリストを見ることができるということを言いたいのだろう。

と同時に、この単語をリストしたほかの人がどんな単語をリストしたのかを見ることができる。そんなことやる暇人はいるのか?ということになるが、まあ子供が辞書で遊ぶ感覚であるが、恐らくそこそこ「かしこい子」じゃないと楽しめないかもしれない。

はてなWordLink.に近い?っていうコメントがはてなブックマークに書かれていた。こちらも覗いてみたが、こっちはみんなでやる「連想ゲーム」であり、誰もが「連想大会」に参加できるところがちょっと違うのかもしれない。「遊び」としてどっちが「高等」なのかよくわからないが、辞書好きの人には明らかに前者だろう。

入試ナシ、選抜はロト抽選で公平に! サイバー大学 吉村作治学長 - @IT

サイバー大学の続報。

結局サイバー大学については、「口コミ」でどんどん話題増幅中だ。どのみち最初は「キワモノ」と見られてもかまわないつもりだろうから、これはまずまずの滑り出しといえそうだ。ちなみに、@ITは現在ソフトバンクグループに属している。

リンク: 入試ナシ、選抜はロト抽選で公平に! サイバー大学 吉村作治学長 - @IT.

日本の大学では産業界で即戦力となる人材の教育をしていない、とは長年言われてきたことだ。この点でもソフトバンクが出資しているだけあって、サイバー大 学はプラクティカルだ。例えばIT総合学科で「コンテンツ制作」について現場の一線で活躍するビジネスマンによる講義があるほか、長期間のインターンシッ プ制度や、ボランティア・留学プログラム、語学検定の個別指導といったメニューを充実させている。

この説明の「実践性」については、突破口日記: サイバー大学.が具体的な要求事項を羅列している。既存の「実践性」を標榜する大学でも、ここまでを「実装」しているところは少ないだろう。無名のWAKHOKが東京でそれなりに評価してもらえたのも、ここにニッチが存在したからだ。「一流のビジネスマン」から「コンテンツ制作」を学ぶというのは、少なくともIT産業が望むような地道な「実践」ではなく、デジハリ式の夢を語る世界に近い。つまり現実には「学生募集」という入り口がまず重要なのであって、目先の「派手さ」を捨ててまで、地道な「実践」を追求しないということになるだろう。もちろん地道さが評価されるべきだと思うが、それを社会が受容し、正当に評価する素地がなければ、結局は人の集まる派手なやり方を取るものが増えるしかないし、誰もそれを責められない。

こうした実践的教育に対しては、大学教育は教養教育や人格陶冶までカバーする全人教育であるべきだという批判がある。こうした批判に対する吉村学長 の言い分は、いささか歯切れが悪い。吉村氏は「ビジネスにも教養や理念は必要。サイバー大学の使命は教養ある社会人を育てる」と言うが、その一方で「ソフ トバンクと吉村作治がやったからITと世界遺産という学部ができたんじゃないかと言う方がおられますが、違うんです、いや、そのとおりでもあるのです が……」と口ごもる。考古学調査でいまやITは不可欠だと実例を挙げて説明してみても、ITと考古学という取り合わせのチグハグさは取り繕えない。  

前段と後段は別の話で、誰も世界遺産学部が実践的だとは思ってないだろう。吉村氏の看板だけで、世界遺産をサイバー大で学ぶというちぐはぐな印象を払拭できるのか、みんなとりあえずはお手並み拝見といったところではなかろうか。前段の「教養教育や人格陶冶」、僕も「実践性」を看板とする大学から「教養教育や人格陶冶」を看板とする大学に移ってきたところなので、非常に考えさせられる。

ただ一つだけいえることは、サイバー大学で「人格陶冶」までカバーするのは大変だろうなあということ。
急激な「実践性」の要請の中で、「教養教育」の中身も見失われつつあるのは確かであり、現代的GPなどで、補助金というニンジンをぶらさげて「大学間競争」させてみたところで、まともな目標が設定されてきたとはあまり感じられない。ただもう一方の「人格陶冶」については、ずっと学生と粘り強く付き合い続けることが大事であり、教員が情熱を持って学生とともに大学に泊り込むようなことをするのが、実はもっともいいことなのかもしれないと思う。もちろん教員自身の「人格」に問題があるとちょっと厄介だけど、暗くなったら学生を大学から追い出すのではなく、常にキャンパスが学生を歓迎し、むしろそこに居させるような教育は、なかなかいいことなのかもしれないと思う。と、稚内に赴任した頃の自分を美化してみたりして。

で、サイバーに話を戻すと、実はネットでもできないことはなく、メンターや教員が「泊り込み」で学生とつきあうことができ、学生の側からゼミの「オフ会」(?)をやろうといいたくなるような関係になれればいいわけだ。その意味では、メンターを置くとか、ちゃんと質問に答えるとかいうのは、入り口に過ぎず(むしろこれだとカスサポ的な大変さのほうがばかりが想起される)、どういうバーチャルキャンパスを創造できるかが、成功の鍵を握っているのかもしれない。

Second Lifeは、僕のLet's Noteでは重たすぎるので、一度入ってみたきりになっているが、ああいう感じでキャンパスを作ったみたらどうなんだろう、とふと思った。

入学者はロトではなくスペックで決めます。

2006/12/11

インタビュー:池田信夫氏(3)通信と放送の未来:阿部重夫編集長ブログ:FACTA online

池田信夫氏インタビューの続き。

リンク: インタビュー:池田信夫氏(3)通信と放送の未来:阿部重夫編集長ブログ:FACTA online.

池田 ニュースやスポーツのように一度に何百万人が見るものや、災害情報などリアルタイム性が必要とされるものは、1対多の通信としてずっと残るでしょう。

一方、放送局側が録画して作ったものを視聴者がリアルタイムで見る必要はないわけです。例えば、NHKの番組の約90%は録画です。長期的に見れ ば、番組も本や雑誌と同じように、欲しいときに取りに行くオンデマンドが当たり前になる。そうなれば通信と放送を区別することに意味がなくなります。

これは全くその通り。それ以上のことを「放送」というぜいたく品でやる必要はない、といえば、ない。バラエティをぜいたく品でやらなくてもいいだろうといったら、「いやそうはいっても、ぼうっとバラエティ番組でも見たいってときもあるじゃない?」という声が出そうだ。が、それもHDで録画したものを見ればいいし、それならブロードバンドで安上がりに流してもいいのだろう。

ただ制作費をどこからひねり出すか。結局テレビCMというのも、「テレビCMは効果がある」という幻想に成り立っていたのだすれば、その幻想がコンテンツを作り出す原資だったわけだ。徐々にそれが消えていったとき。。。まあバラエティの代わりにFoodies TVを見ることになっても、僕はあまり困らないけど。。タレント以外に困る人はいるかなあ。

速報性はないけどもう少し公共性の高い番組「NHK特集」とか『わが愛しのキャンディーズ』みたいな番組は、どうなるのか。恐らく一斉放送で、ブログでわっと噂になる(キャンディーズはかなり話題になっていた)というような現象は、だんだんなくなって、どちらかというと、WOWOWのジェーミーオリバーのように、じわじわといくケースが増えるということか。いずれにせよ、「紅白」を筆頭とする「はい、国民の皆さん、テレビの前に集まって」という番組の流し方は、なくなってもあまり困らなさそうだし、実際になくなってしまっている。

いまのテレビ画質の映像をオンデマンドで見るには、DSL(電話線を使った高速デジタルデータ通信)では難しいし、何百万人が一斉にオンデマンドで 接続しても耐えられるサーバはありません。パイプの部分は光ファイバーになれば何とかなりますが、サーバがボトルネックになってしまう。

また、事業者側から見ても、IPを使って快適な映像配信サービスを行うには、利用者数に比例した設備増強が必要でコストの負担が重い。事業者曰く、 テキスト主体のサービスとはコスト構造が異なるのだそうです。USENの「GyaO」がインフラコストに苦しんでいることがその証左でしょう。

仮に今後もムーアの法則どおりに半導体技術が進歩しても、日本全国の視聴者がオンデマンドで映像を見られるようになるまでは、5年から10年は掛かるかもしれません。

この視点は、僕の中で欠けている部分なのだが「テキスト主体のサービスとはコスト構造が異なる」というあたりが、きちんと世の中に出てきてもらえると、理解しやすい。大学で学生たちと話していても、Bittorrentについてはあまり学生たちは知らない。が、恐らくこのボトルネックの解消に、BittorrentもLooc(というかGrid?)も少なからず関係しているのだろう。

はてなブックマークとVox

「棲み分け」についてちゃんと考えたわけではないが、「備忘録」としてのココログはあんまり優秀とはいえないので、はてなブックマークも使ってみることにした。今後は、ほんの一言しか書けることがない場合には、「はてぶ送り」で済ませてしまう可能性もあるし、逆に「はてぶ送り」にしておいて、後でココログに書き直す可能性もある。

週末紀伊国屋で買って来た、「口コミ2.0」を読み始めた。なかなか面白い。消費者の行動モデルとして、「最後にレビューを書く」という行為が想定されている。が、それは「みんなのために書く」というだけではなく、たいていポイント還元などの「お得感」にもとづいているそうだ。僕の場合、逆に「お得感」を全面に出されると引いてしまう。楽天トラベルで泊まったホテルについてなんかあげるから感想を書いてくれといわれると、かえって引いてしまい、互助の精神からすると書いたほうがいいとは思いつつも、一度も協力したことがない。

Taggyのエントリ(いまだに仕組みがよくわからない)でも書いたが、ソーシャルブックマーク「活動」の動機づけは、これとは異なる、非常に狭いニッチに存在しているような気がする。自分のためでみんなのため、という溝の上に立っているような感じだ。

Voxで以前取ったアカウントは、英語への切り替えが簡単だったので、Flickrに英語で書いた写真の説明文をもとにした、簡易な英語版のブログにしてみた。あまり難しいことを書くつもりはなく、写真を使った、ほぼ自分のためだけの、英語練習帳だ。Voxは見た目の派手さの割には、機能的には制限されているようだ。というよりもSix Apartとしては今までのものとは異なるBlogを目指すのかもしれないが、今のところ使い勝手はあんまりよくない。

2006/12/10

ギニア:「政府職員」ら強制収容 外交ビザで不法就労 -事件:MSN毎日インタラクティブ

リンク: ギニア:「政府職員」ら強制収容 外交ビザで不法就労 -事件:MSN毎日インタラクティブ.

 関係者によると、3人はギニア政府職員や大使館関係者の親族ら。いずれも外交官らに発給される外交ビザや公用ビザで入国したにもかかわらず、民間の工場 で不法就労するなど公務に就いていなかった。このため入管当局は、不法残留や資格外活動の疑いがあるとして摘発に踏み切った。

イラン人家族の退去強制のニュースでは、ミクシーでのユーザの反応は、「不法残留をやっといて、いろいろ事情があるから在留許可をくれというのは、あまりにむしがよすぎる」
というものが圧倒的多数だった。今回も、「外交ビザや公用ビザできておいて、働いてたのか。金が目当てなのか。けしからん。」と、たぶんそうなるだろう。

そうでもして日本に来たいと思っている人たちがいるのはたしかだし、そう思わせるだけの豊かさ(あるいはそのような幻想)が、日本にはあるということなのだが。

それに対して、日本政府は「よっぽど役に立つ奴しか入れてやらない」とか「お金持ってる人しか日本で勉強させてやらない」といった厳しい基準を設け、国内にいる日本人はそれを知らない(し、他人事なので関心がない)ので、「日本が決めたルールにのっとってくればいいのに」と思っている。でも日本人が彼らに要求している「ルール」は、日本人が旅行に行くときのように、「とりあえずパスポートはちゃんと持っていこう」なんていう生易しいものではないのだ。

日本人と違って、みんな日本に入国したら、そこで圧倒的に異なる貨幣価値のもとで暮らし始めて、もう帰りたくなくなっちゃうので、「そんなことを思わないような金持ち」だけが入国できるということなのかもしれない(特に留学生はそういう基準で計られている)。

おそらく多くの日本人が無意識に立脚しているのは、外国人がいっぱい入ってきたら、怪しいことをやりはじめて治安は乱れるし、優秀だったら優秀だったで日本人の仕事を奪うし、という危機感なのだと思う。でも「研修」なんていう変な制度は、実態は明らかに「就労」なのに、「彼らは研修中なので安い賃金しか払わなくていい」という建前と、「彼らはいずれ技能を身につけて帰る人たちなので、就労しているわけではないですよ」という建前と、「みなさんこの額でも日本に来たいでしょ?」という本音が複雑に絡み合って、人知れず全国津々浦々で定着していっている。で、多くの日本人は、これが何なのかわからず(興味もなく)、ときどき事件が起こったときだけ、「へえ、研修している人たちが居るんだねえ」といっている。

リンク: 東日本の縫製工場、イスラム教徒研修生に「礼拝禁止」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

おそらくこのニュースに接した多くの日本人は、雇用側に憤慨するのだろう。でもあくまで他人事としてだ。「役に立って共生できて、他人に迷惑をかけない外国人」を受け入れるというのは、入管の基本的な発想であり、広く日本人が望んでいることかもしれない。しかしこれを実現するためには、「疑わしい国」から来た人々の権利は、あまり考慮されない。認められたビザの範囲でしか行動できないというのは、法律上は当然の制度であるが、しかし厳格に適用すれば、人格否定につながりかねない。でもそんなもんだ、あんたら外国人だ。日本人の多くはそう考えているし、入管はそういう世論に支えられている。だから、休憩時間の礼拝禁止はひどいといわれるが、そこまでやるようなセンスの人が、「研修」という名の「雇用」をしていることを、誰も気にも留めなかったのである。

「美しい国」っていうのは行き詰るような監視社会である、という声をちらほら聞く。それに対する論評はまだ差し控えるが、もし「美しい国」になるのだすれば、「自分だけ美しい国」ということになるんじゃないかという気がする。それぐらい日本人の外国人問題への無関心は著しく、相変わらず少子化対策とこの問題をきちんとリンクさせて考える人は少ない。「俺英語できないからなあ」なんて言い訳をしている場合ではないと思う。

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