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2006年4月16日 - 2006年4月22日

2006/04/21

近所の北海道と青森

明日から約一ヶ月ぶりで稚内に戻る。すっかり東京の気候に慣れてしまったので、思わぬ寒さに観光客並みにビビることだろう。汐留のANAのカウンターまで自転車で行き、発券してきた。株主優待券はチケットレスが利かないので、あらかじめ発券しておこうと思ったわけだが、結果的には失敗。汐留は結構遠いばかりか、自転車では渡れない交差点(歩道橋のみ)も多く、結構遠回りをすることになった。しかも今日は強風。

道すがら、近所にどんな店があるかチェックしながら進行。ものすごい近くにグリル十勝、少し進むと「ふらの」という小さな居酒屋もあった。たしか「わっかない」という店は新橋だったっけ。青森の物産店が、新富町の地味なところにあった。飯田橋の店もそうだが、こっちも相当地味な立地である。東京駅や有楽町駅にでーんと店を構える北海道に比べると、んー、宣伝効果は半分以下だろう。賃料も半分以下かもしれないが。

2006/04/20

許茹芸と松たか子

最後まで残っていた引越のダンボールのうち、もはや収納不能になったCD類の整理を行った。結局2箱中1箱は、アーティスト別に整理して再びダンボールに戻すこととなった。中華系のCDは、パッケージで目立とうとするせいか、規格外の大きさのものが結構あって困りものだ。

稚内に行った頃流行っていた、台湾の歌手許茹芸のVCDが出てきたので、PCに取り込む。で、そういえば、最近彼女の新作が出てないと思ってちょっと調べてみたところ。。。

2001年ごろ、「部屋においでよ」の台湾版ドラマに出演していたことがわかった。これはF4が主演なので、つまり、世間のF4ファンの日本人にも、許茹芸は水沢文役の女性として、結構有名になっていたわけだ。ちなみに、渡米して、帰国したが、まだ新作は出てない、というのが今のところわかった近況。

で、さらに、このドラマを見た複数の人が、「文役の人、松たか子にそっくり」と書いていることがわかった。2001年に「そっくり」というか、「髪型が似ている」とWEB日記に書いたが、そのときネット上での反応は皆無であった。5年越しで、僕と同じ感想を持っている人がいることがわかった。

許茹芸が、チェジウやイヨンエのポジションに立つのは、ちょっと厳しいかもしれないが、日本でも知名度が(少なくとも僕が曲を聞いていた頃よりは)上がっているようなので、そろそろ、新作を出していただけるとありがたい。

渋谷カンティプール

札幌の妹が上京してきたので、昨晩は4人兄弟姉妹のうち、上から3人と弟の奥さん、4人で集まった。新潟に移動した月曜日あたりから、店をどうするのか、メールが飛び交っていたが、結局昨今長兄の僕が探索中のネパール料理に挑戦ということになった。

それぞれの居場所を考慮して、最終的には、渋谷・恵比寿の3つのネパール料理店から、渋谷桜丘町の「カンティプール」を選択した。店内は、(意外にも?)女性客を中心にかなり込み合っていて、予約しておかなければ席がなかったかもしれない。ここもネパール料理なのに、「ダルバート」がない。やはり「ダルバート」、つまり「定食」状態にしてしまうと、客単価が下がるからだろうか。ご飯と他のおかずを頼んで混ぜちゃえばいいんだけど。

弟妹には、「チョエラ」という料理の発音がおかしかったようだ。どうも僕がふざけて、適当かつあてずっぽうに、変な音を発しているように聞こえたようだ。おそらく子供の頃、実家でやってたことを想起させるのであろう。弟の奥さんにはその面白さが通じてなかったもの。

ここでも料理人や店長に話しかけて情報収集。店長はネパール好きあるいは山好きが昂じてネパール料理店を始めたわけではなく、前の店を引き継いだときにネパール人の料理人ごと引き継いだので、ネパール料理店にしただけだといっていた。謙遜じゃないとすれば、それであの繁盛ぶりは大したものだ。

料理人のカマルさんは、「ナンの専門家」だそうだ。それは、ネパール料理の専門家ってことになるのだろうか?と思ったが、まあいいか。彼の勤めていたホテルはNarayaniというところで、ヒマラヤホテルの近くだそうだ。帰ってきて「歩き方」を見たら、地図上には載っていた。一部にはおなじみのPulchowk。

2006/04/19

Nepal: 行っていいのか悪いのか

GWを間近に控え、ネパール好きの日本人の関心は、この時期ネパールに行っていいのか悪いのか、そこに集中している。mixiのコミュニティを見る限り、そのように読みとれる。GWじゃなくても、基本的なトピックはそれだったような気がする。

たしかに旅行を予定している人にとって、もっとも「当事者意識」を持ちうるトピックであるし、重要な問題であろう。しかし比較的ディープにハマる人の多い、ネパールという国に対してですら、(ミクシーに参加している)日本人の関心はそこにしか向かないのかと思うと、ちょっと悲しい気分になる。

個々にはそうではない人がいるだろうし、それがミクシーという、少しお気軽な雰囲気の空間に反映されないからといって、悲観する必要はないのかもしれないけど。

Nepal:アメリカの動き

ちょっとだけアメリカの動きが見えた。

- Foreign Ministry summons US envoy Moriarty

ネパール外務省が駐ネパール米国大使を召還したという。この席でどのようなやりとりがあったのかはわからないが、事態打開に向けて米国が圧力をかけているのは間違いないようだ。どこまで本気なのかはわからないが。

それよりネパール政府側が、どういう態度に出るのかが問題だろう。

日本のCNNでは、現在、ネパール情勢の最新記事がトップに来ている。ネパールグンジでデモ参加者のうち1名が死亡、ポカラは終日の外出禁止になったようだ。こうなると、いくらおめでたい日本人でも、観光旅行には行かなくなる(たぶんレイクサイドに危険はないと思うが)。そろそろネパール政府も真面目に考えたほうがいい。

タイのタクシン前首相の辞任劇は、おそらく捲土重来の余地を残すための撤退だったと思うが、それにしても引き際はよかった。国王の威厳も保たれた。国王が当事者になって、どんどん泥沼化するネパールとは、大きなギャップを感ぜざるをえない。

Nepal: インドの動き

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <インド>ネパールへ特使派遣 民主化へ国王説得か.」

インド政府がネパールの現状打開に向けて動き出したようだ。「特使は国王に面会して民主化勢力との妥協に応じるように説得するとみられる。」という記事。

インドとネパールの関係について、きちんと学んだことはないが、ネパールでの両国関係に対する評価は、必ずしも一様ではない。CATVの普及した市街地では、インドの映画・音楽チャンネルが一日中流れていて、音楽市場もインドに席巻されている。が、「こんな状態は望ましくない。ネパール語を話そう、ネパールの文化を大切にしよう。」という雰囲気もあり、ネパール音楽のチャンネルもCATVに存在している。でも局数が少ないせいか、すぐに同じ局の繰り返しになってしまう。

この話は、日本人にとっては、かつて日韓関係で語られた、「文化侵略」の話を想起させる。が、ネパール語とヒンズー語はかなり類似しているようで、実際の影響力はもっと強いようだ。

一方で政府間の関係は必ずしも芳しくなく、国王がインドとうまく付き合わないので、国民は電力供給をはじめとして、さまざまな不利益を受けている、ともいう。したがって、こういう話になると、人々はあまりインドのことを好きではないように感じる。

今回の事態に関して、インドがどのような思惑を持っているか、現時点で僕にはわからない。が、どんな思惑にせよ、国王に冷静に妥協のタイミングを与えるには、こうした大国の動きが重要になってくるように思う。今のところ、日本政府から表立った動きはないようだ。

追記。

Karan Singh to visit Kathmandu as special Indian envoy

こちらはネパールの記事。派遣されるインドからの特使は、ネパール王室と親密な関係にあること、すでにインド大使が日曜に国王と会っていて、反王制派との対話を行うよう説得を行ったこと、がわかった。大使だけでは説得されなかった、ということだろう。

2006/04/18

ネパールへの各国の態度は?

NIKKEI NETによると、ネパール反王制派(7政党)は、国際社会に対して、国王に対しての援助をやめるように求めたという。

中国が、(毛沢東主義者ではなく)政府側に軍事援助をしているという話はあるが、実際のところはどうなんだろうか。

現在のにらみ合いを、さらに深刻な事態に悪化させないためには、国際社会が圧力をかけて、国王に当面の穏便な解決策を出させるしかないように思う。

今の事態を収束させるだけならば、別のやり方もあるかもしれない。が、それは結局また次のにらみ合いまでのモラトリアムを作るだけだろう。

おそらくここでいう「国際社会」の中で、マオイストが実権を握ることを望んでいる国はないだろう。しかし実際には、地方の「実権」のかなりの部分を彼らがおさえているのもまた事実のようだ。

これだけ民主化を求める活動家が拘束されているのに、アメリカがあまり大きな声を上げないのはなぜなんだろう?、というのが最近考えていることだ。少し情報を集めてみようかと思っている。

2006/04/16

タイフェスティバルThai Festival

mixiで、「タイフェスティバルThai Festival」の情報を発見した。

今年は5月13、14日。

去年はちょうど稚内から学生たちと遠征中であったので、学生二人を連れて行ってきた。ものすごい人出であった。今年もいけるといいのだけど。

アンビバレントな稚内

僕のあわただしい旅立ちに続いて、ユーミーも稚内を旅立ったようだ。彼女とは5年間ゼミ活動を共にしてきたし、活躍ぶりもよくわかっているので、非常に感慨深い。

今日からブログちゃん:とりあえず今はさようなら

稚内については、その特殊な土地柄ゆえか、住んでいる間さんざんひどいことを言っておいて、脱出してからかえって懐かしむ人も多い。彼女のように稚内を礼賛するつもりもないけれど、彼女のいわんとすることは、なんとなくわかるような気がする。

半年間雪に閉ざされた生活。視界ゼロのブリザード。吹き溜まり。へっぽこな商業施設。遠すぎる大都市。愛想のない店員。雪かきを指導するおじさん。他人が気になって仕方がないうわさ好きの人々。文化・教養への無関心。ルーズなシステム。

それでも人は生きている。それでも生きている人たちは、出会って、仲良くなると、人材の少なさも手伝ってか、助け合い、尊重しあい、100%の付き合いをするようになる。人材、インフラ、気候条件、ありとあらゆる(信じがたい)制約条件を乗り越えて、みんなが力をあわせて、最大限の成果を得ようとする。「みんな」の立場は関係ない。学生も先生もない。役に立つ奴は尊重されるし、そうじゃない人も、仲間の枠に入っていれば、それなりに尊重される。

狭い世界観で自足する学生たちには、本当にもどかしい思いをする。一度でいいから、東京でも外国でも行ってほしいのだけれど、経済的な条件がそれを許さない。親が許さない、という人もいた。

#ニート対策として、田舎の若者に割引航空券を(回数限定でいいから)配布するのは、非常にいいことだと思う。国内航空券の値段にしても、成田に集中する国際線にしても、その異常さは都会に暮らしているとあまり気がつかないことであろう。

稚内にある、制約された世界での連帯感は、東京では体験できない、ある種のオルタナティブではあった。そこにプラスすべき要素が加わってさえくれれば、あいつもあいつもあいつも、もう一歩先に行けたんじゃないか、という気持ちになってくる。

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