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2006年4月9日 - 2006年4月15日

2006/04/14

ネパール料理・インド料理

Gタムが上京して、3日ほど我が家を訪れた。
その間、うちの近くのネパール料理、インド料理の各店を訪問、どれもなかなかおいしい店であることがわかった。

1.Himalayan Moon Cafe
2.Nawab
3.ネパールのお座敷DINING tika

Himalayan Moon Cafeは、ネパール・インド料理の店。マネージャとおぼしき人は、シェルパ族の人だったので、おそらくネパール料理がメインなんだけど、インドも、っていう感じ。夜もディナーバイキングをやっていて、定額でいろいろネパールのおつまみを試すことができる。

Nawabはインド料理。パキスタン人のオーナーで、ネパール人がウェイターをしている。ここはネパール料理はなく、インド料理(パキスタン料理?)。ダルバートはやらないらしい。去年ネパールの学生たちを東京に連れてきたときにも、内田洋行さんにここの食事を用意していただいた。稚内でネパールの味から離れていた学生たちはほっとした顔をしていたのを覚えている。ランチも結構なボリュームであった。

tikaは東京駅八重洲口の繁華街にあり、なかなかいい立地なのだが、なにぶん看板がわかりにくかった。ここはカトマンズのツーリストエリアであるタメル地区でいうと、FullmoonとかLhasaのような、お座敷タイプの店。なんでネパール料理なのにお座敷?と思ったが、行ってみて意味がわかった。ここが一番ネパールっぽい雰囲気だった。ネパールのお酒も、エベレストビールだけじゃなく、ククリラム、ロキシ(品切れだったけど)、チャーが用意されていた。ちなみにエベレストビールなのに、日本のは瓶が小さい。ネパールでは大瓶がデフォルトなんだけど。

Gタムが一緒だったので、どこの店でも店員さんと親しく話をすることができ、気軽に一人でも立ち寄れそうだ。ちなみにどこへ行っても、ネパール人たちは出身地から会話を始めていた。そういえば、ネパールでは結構一般的な慣行のような気がする。

2006/04/12

新発田の学生達

4月から新潟県新発田市にある、敬和学園大学で非常勤講師をやることになった。

東京駅から新潟まで、新幹線で2時間ちょっと。敬和学園までは、そこから電車で30分(プラス駅から学バス)ほどかかる。稚内から札幌まで、5時間の旅を何度もしていた立場から言うと、たいしたことはないのだが、まあそれなりに往復移動で体力を吸い取られそうだ。

今回は車で移動したのだが、関越トンネルを抜けると、本当に「雪国」になった。

今週はガイダンスで、ゼミ所属の学生たちと履修相談をした。驚いたことに、学生たちのPC使用率は異様に低い。学内施設は45台のPCだけで、しかもそれらもあまり使われている形跡がない。学生に聞いてみると、重たいのでノートPCはあまり持ち歩かないそうだ。教員も学生もPC依存症にどっぷりつかっているWAKHOKを当たり前だと思っていたけれども、世間の常識っていうのはそんなもんなのか。。。

敬和はキリスト教主義に基づいて、しっかりした教養教育を行うというコンセプトの学校だ。実学とか即戦力とか、そういう発想には、少なくとも理念的には立っていない。ゆるぎない教養人であれば、卒業後仕事に必要な「スキル」はすぐに習得できる。そういう前提に立っているように見える。

そう、WAKHOKの考え方と全く正反対だ。WAKHOKは、形式的な教養が学生をスポイルしてしまうという考え方だと思う。常に実践的かつ先進的であることを志向している。

いずれにせよ、そうした「哲学」は、おおむね大学サイドの都合によって作り上げられている面があり、必ずしも学生の将来にどのように作用しているか、あるいは少なくとも、学生にどのように受け止められているかを、きちんと評価した上で作り上げられているわけではないように思う。ネパールやバングラディシュの学校と話していると、彼らがいかに市場競争力と教育の質の向上に取り組んでいるかがよくわかる。彼らは、学生の需要にどのように答えるべきかという出発点に立っている。実際には学生に対する管理は結構徹底していて、別に学生にこびへつらうわけではないのだけれど、マーケティング戦略は非常によく考えられていて、いい意味での「顧客満足」が追求されている。日本の大学はその点、供給サイドの都合でやり方が決まっていて、あまり市場志向的ではない。大学全入時代の激しい競争を勝ち抜くために、というお題目はよく唱えられていて、そのためにみんな努力しなければという掛け声はあるのだけれど、結局どんな手を繰り出すかは、学校や構成員の都合(プラス財力)が非常に大きな制約条件としてのさばってしまっているので、実際には中途半端な改革にとどまってしまっていることが多い。

敬和の学生たちは、このカリキュラムで学んで、どんな将来展望を持つのかが非常に不明瞭であるように思えた。WAKHOKの学生たちにもその傾向はあるが、それはITの領域で自信を持てないからに過ぎず、実はWAKHOKでの「そこそこ」は世の中では「結構すごい」ぐらいにはなるんだという気持ちを、持てばいいだけなのであろう。そうした自信創出の仕掛けが、WAKHOKには欠けている。そうした点を補うのが、敬和学園のいうような「人間教育」「教養教育」なのかどうか、それはよくわからないが、両者の「哲学」は何か相互補完的であるように感じている。敬和の学生は、大学の掲げる旗印の意味を、おそらくほとんど理解していないだろう。少なくとも学びのプロセスの前に掲げられるものとしては、ちょっと難しすぎるかな。卒業した後、じわじわ効いてくるのかもしれない。
留学生たちは、もっとはっきりした専門性、あるいは世の中で通用する「実学」を求めているように感じた。「日本の大学」を卒業しましたというだけではほとんど評価されない、という彼らの意見は、もっともだと思った。また新しい宿題を抱えたような気分になった。

新潟なのに、帰りの新幹線で、富山のますずしを食べた。

2006/04/10

丸山学長のブログ

ネパール滞在中、「俺もブログやりはじめてさ」と学長が言い出した。

デジハリの杉山さんばりにやってみたら?という話は、何度かちらちらと出ていたが、あまりご本人気乗りしなかったという話を側聞していたのだけど。なんにせよ、こういう形で学長の考え方が表に出て、共有されるのはいいことだと思う。

最近の投稿で、日本語教育ボランティアでネパールに行った、健司のレポートが引用されている。彼を送ってよかったという気持ちは僕も同じだ。在学生であること、成績があまりよろしくないこと、いろいろと反対意見があった。でも昨夏のネパールでの彼を見ていた僕からすれば、結局彼は現場で何かを感じる人なので、今回ぜひとも送りたかった。彼の順応性の高さは、ロシア語のK先生やGタムも評価してくれた。

今の彼は、すっかりナガルジュナファミリーとなり、ナガルジュナの応援団としてがんばっている。

日本では、あまり学長から注目されることのなかった彼だが、今は学長からも大きな評価を得たようだ。がんばってほしい。

ところで学長ブログは、これまであまりまとまった形で外に出てこなかった、学長のWAKHOK運営に対する考え方が現れている。僕は決して「学長派」ではない(そう思われていると思うけど)し、IT教育にフォーカスするだけが道ではないとも思うけれども、いまの「国際化」に向けた挑戦は、自分の大学経営のためのようでいて、実は日本の大学教育の現状に対して、改革を促していく可能性を内包しているように思う。その中で、社会科学の側がどういう役割を担うのかは、実は結構重要だと思う。


ネパールのデモ

ネパールの主要7政党、デモ延期・外出禁止令受け

いろいろな人に夏にネパールに行きましょうよ、と誘っていた矢先に、この事態である。

僕がネパールを脱出した3日頃から、デモの動きは出てきていて、なにか始まりそうな雰囲気はあったのだが。。。

ちなみに急にこんなことになったように見えるけれども、それは日本の報道機関にほとんど情報が出てこないだけで、ネパールでは、政府vs政党連合、背後にマオイスト、という構造が、ずっと続いている。ただ、こんな状態では観光客も来なくなっちゃうし、市民生活も圧迫されるし、というわけで、大体適当なところで収まってきただけだ。

今回は徹底抗戦で行くのだろうか。長引くのは困るけれども、そろそろ決着をつけるべき時にきているのかもしれない。

1月に行ったときには、着いた当日が6PM-9PMを除き、終日外出禁止となっていた。何もできなかった。まあそうはいっても、カトマンズ市内はそんなに危険な状態には陥っていなかった。ただ行動が相当程度制約されるというだけだった。

決着をつけるにせよ、穏便にお願いしたいものだ。今のネパールは政治闘争が自己目的化していて、本来の目的であったはずの国民生活の質の向上は、すっかりおいてきぼりになっている。

2006/04/09

津軽人

先ほど自転車が到着した。
「宿題」を片付けて、午後から隅田川沿いを走ってみよう。
ユーミーが浅草に行ってみたいそうなので、どれぐらい距離があるか、チェックしてみるか。
あ、でも新幹線のチケットが先か。

さて、表題の件。
東京にきて、荷物を持ってきた引越屋さんのリーダーは、津軽訛りの人だった。
聞いてみると、尾上の人。出稼ぎだそうだ。
駅前の髪切り屋って知ってますか?と聞かれた。
息子がそこで働いているんだという。
自分では標準語でしゃべってるつもりなんだけど、というその喋りが訛っていた。
僕らの世代でも、訛りなしでしゃべることのできない友人がいたが、今の世代はどうなんだろう。
大学生のうちの妹も、地元どっぷりで、日々津軽弁で暮らしているが、彼女は切り替え可能なんじゃないかという気がする。

一昨日、往復二時間かけて、月島警察署まで行き、免許の住所変更。
ここまで遠いなら、自転車が来てからにすればよかったと反省。
で、窓口にて。
「あー、旭川ですねー、寒そうだなあ。私も青森なんだけど。。。あ、本籍青森ですか。私も五所川原とか鶴田とか、いっぱい親戚いるんですよ。もうずっと昔のことですけどねえ。」
五所川原は僕の出生地で、鶴田は高校時代に住んでいたところ。
警察の窓口での話なので、大して話が広がることもなかったが。

予想外の津軽人との邂逅は、何を意味するのか。

いや何も意味しないか。

でも短期間にこんなに津軽人に出くわすのは、本当に珍しい。


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