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2005年4月10日 - 2005年4月16日

2005/04/16

英語の需要と要求と供給

プレゼンテーションのための英語表現を学ぶ勉強会を始めた。

場面ごとに必要な表現方法を学び、実際にプレゼンテーションを行うための作文を自ら行ってみた。参加した学生は2名。僕と留学生のGタムがコメントをつけた。まわりで聞いていた学生たちは、すごいことやってると感心している風だったが、別にたいしたことはやってない。こういうのは、むしろ授業に積極的に取り入れて、「要求」をつきつけたほうがいいように思う。

WAKHOKの英語学習に対する僕の考え方は、学生の現在の平均的英語レベルにあわせて授業を行うのではなく、専門教育に必要な英語をそれぞれの場面で、要求してしまえばいいというもの。少々荒っぽいのかもしれないが、そこはやり方でカバーできるように思う。学生の平均的レベル、あるいは苦手な学生のレベルに合わせて、限りなくレベルを下げて文法の確認をするよりも、案外いいのではないかと思う。「まず苦手意識を克服しよう」という狙いに反して、高校までの「トラウマ」に引き戻される学生もいるだろう。逆に、幸いにして苦手意識を克服したとしても、そこで得られる能力は、とても実用に耐えうるものにはならないだろう。まずは具体的な到達目標を決めて、そのために必要なパーツをそろえながら文法も確認していくというのはどうなのだろうか?

僕は、英語学習においては、「必要に迫られて」学ぶこと、「背伸びをして」学ぶこと、これを繰り返してきた。帰国子女の英語力に圧倒されたり、仕事で「英語ができない」とはいえない状況に追い込まれたり、そういう場面で「背伸び」を繰り返しながら、少しずつ必要な表現を学んできた。僕の弱点は、そうした場当たり的に学ぶ時間だけではなく、本格的に強い自覚を持って学ぶ時間を十分確保していないということにあるが、こうした経験が自分に学習の必要性を自覚していることは確かである。自分自身最短の道を通ってきたかどうかはわからないが、「必要は改善の母」になるだろう。

学生たちは、「必要」を自覚していない。あるいは自覚することから逃避できるようになっている。ここでも、WAKHOKの一点突破主義は、免罪符を与えている。IT専門教育から入って、そこで英語を含む他分野の必要性に気づかせ、基礎教養への関心に戻してやるというプロセスは、果たして機能しているのか。ここでもやはり、教員がもっと議論すべきは、専門教育の先進性の追求ではなく(少なくともそれだけではなく)、教養を含む全体的カリキュラムの有機的連携のあり方だということになる。しかも、そこでの有機的連携の議論は、あまり大上段に構えた話から入るのではなく、学生たちがITをコアにして学ぶということを前提に、英語力、プレゼンテーション能力、コミュニケーションスキルといったトータルな能力の必要性をいかに自覚させ、身につけさせるかということから出発すべきだろう。大学教員は、自分の専門性を発揮することをまず第一に守るべき利益と考えるので、そうした利益と全体目標がずれた場合、結局どこまで教員が自覚的に自分の権益を譲り渡すか、ということになる。教員はお互い相手の立場をわかっているので、教員組織がこの話を議論しても、たいていはさんざん議論したあげく、現状維持に落ち着いて終わってしまう(ここは事務組織やトップの出番なんだと思う)。

SFC CLIP「English Service Centerがオープン -授業外の英語学習をサポート」.という記事を読んだ。こういう体制作りの話になると、たいてい「うちは小さな大学なので、ここまでの体制は取れない」という話になる。そうだろうか。極端な話、基本的な文法などの英語学習はどんどんWBTにしてしまえばいい。そういう仕掛けはいまいくらでもある。残るのはサポートだけ。その分英語の教員は、あるいは別の専門教員も含めて、「英語で○○をする」というレベルに、取組みの中心をシフトさせたらいいことではないのだろうか?

「IT一点突破主義」のWAKHOKの教育は、国際的場面で評価を勝ち取る潜在性を持っていると思う。本気でそのための準備をすれば、「田舎」にあることなんて吹き飛ぶぐらい、大きく脱皮できるはずだ。
でもそのための足場を作る段階で、極端な「IT一点突破」に走ってはいけない。学生の立場にたって、彼らの将来像を見据えながら、「ITプラスの数点突破」ぐらいに目標を置くのがいいだろう。教員にはそれぞれの研究という守るべきドメインがある。僕にもある。だから、教員組織が、この作業で改革するための力を発揮するのは難しい。では誰が発揮するのか。自明である。

2005/04/11

3ゼミの抗争と構想

ネパールの話、まだ書ききってないのだけど。

新学期が始まり、土曜日に新入生向けアッセンブリが行われた。
1年生向けのゼミの説明会も開催され、いつもの通り、一見堅そうな我がゼミの客入りはイマイチ。午後になって、学生自治会主催のゼミごとのプレゼン。詳細はPapu's-Blogに書かれているが、なかなか盛り上がったように感じた。あれで1年生が疲れてなければもっとよかったのだけど。

一戸ゼミは勉強の話はそこそこに、「理想のキャンパスライフを実現する一戸ゼミ」というテーマでプレゼンを行った。
「稚内で合コンはないでしょう」
「いや一戸ゼミにはあります!。。。」
というアプローチだ。稚内という特殊な環境にあって、楽しく学んでいる集団もいるんだよということを、うまく伝えてくれたように思う。

このシナリオはすでに、丸安、岩本の二つのゼミには漏れていて、先に発表したこの二つのゼミからいろいろと愛情のこもった言及をいただいたが、そこでシナリオを一部修正した一戸ゼミの二人のプレゼンターはよくがんばり、見事なアドリブを披露した。二人も着実に成長しているなあと、ユーミーと二人、目を細めた。

「理想のキャンパスライフ」の映像化には、そこまでしなくても、という声もあり、ユーミーの卒業生の言葉とアプローチが同じだという声もあり。しかし、僕の立場から見ると、今回の取組には上級生にとってもそれなりの意義があった。そこには「右も左もわからない」新入生という聴衆がいた。彼らはきっと大学生活に関する何らかのイメージを持っているはずだ。そしてそれはおそらく、この数日を過ごした稚内にはないものを含んでいる。自分たち自身そういう経験をしてきた学生たちが、聴衆がおそらく考えていること感じているであろうことを想像して、それにさおさす形で自分たちのことを紹介した。このプロセスに意味があるのだ。もちろん、研究内容を学生の立場から伝えるというのは、教員が説明するのとは別の意義があるだろう。でも、1年生は疲れていた。すでに一度教員から説明があった。学生は教員の影響を少なからず受けているから、多少視点が違うにせよ、説明はどうしても重複する。それから、研究内容をきいたときの1年生にとっての印象もある。

マーケティングにおけるポジショニングと表現手段の選択を考えて、今回のアプローチが選択されたわけだ。「小さな世界の小さな出来事」には違いないけれど、こういう小さな積み重ねから、学生たちが大きく飛躍して言ってくれればと思う。

丸安、岩本、一戸の「抗争」は、アッセンブリ後のワッフルデーで「手打ち」が行われ、今週からはかねてから計画されていた3ゼミ合同研究会がスタートする。お互いがお互いのやっていることを認め合い、高めあえる研究会に育っていってほしいものだ。

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