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2004年11月21日 - 2004年11月27日

2004/11/27

「著作権法改正は“大技”ではなく“中技”で着々と」文化庁吉川氏

「著作権法改正は“大技”ではなく“中技”で着々と」文化庁吉川氏

文化庁長官官房著作権課の吉川晃課長の講演。
次の改正ポイントは、「私的録音録画補償金制度」の改正と、書籍・雑誌の貸与権に伴った「公共貸与権」。


2004/11/26

エンタメ法の報告書

コンテンツ・プロデュース機能の
基盤強化に関する調査研究-法務(著作権・契約関係)

経産省のサイトでこれも発見。Hらだ君、読むべし。

経済的価値に着目した肖像の保護と利用に関する研究会報告書

ぜんぜん新しい情報ではない。

経済的価値に着目した肖像の保護と利用に関する研究会報告書

M.K君はこれを読んで元気を出してもらいたい。

法とコンピュータ学会

P2Pやアクティベーションで問われる法的責任とは

現状はプロバイダーやP2Pの提供者などに刑事責任を負わせすぎている


その次の週に行われた法とコンピュータ学会の記事。

情報ネットワーク法学会関連記事2

デジタルコンテンツ保護法制の世界状況

ひろゆき氏「開発者逮捕でP2Pネットワークの制御がしにくくなる危険も」

著作権の過度な保護はかえって収入減を招く~研究大会基調講演

情報ネットワーク法学会関連記事1

著作権シンポ:“2ちゃんねる”ひろゆき氏ら活発に議論

いまさら報告するようなものでもないですが、一応学生の皆さん向けの情報提供として。落合先生をはじめ、多くのブログにもコメントや報告が載ってます。
僕はさぼってました。

@nifty:NEWS@nifty:[経営戦略]ソフトバンク・アイティメディアとアットマーク・アイティが来年3月合併へ(BCN)

@nifty:NEWS@nifty:[経営戦略]ソフトバンク・アイティメディアとアットマーク・アイティが来年3月合併へ(BCN)

これは驚きました。
個人的には、@ITの扱う領域が広がることで、私なりに貢献できる部分もでてくるのkなあとは思います。両社の扱う内容を一緒にすることで、シナジー効果があるのかないのかはよくわかりません。

いずれにせよ、さらなるご発展を。

探究心の源泉

学生時代に勉強していたとはいえないけれど、好奇心や批判的精神は、稚拙ながらも持っていたように思う。
いつも「何か面白いことはないか?」という、かかとが上がった状態で、いつも過ごしていた。もちろん、「そんなの下らん」という理由をつけて、消極的になっていたことはあったと思うし、興味本位で無鉄砲に行動して失敗したこともあっただろうけど。

その「面白いこと」というのが、ITの分野で、しかもテクノロジーそれ自体の習得とは離れて、法律やビジネスの世界に転がっている。それを伝えるのが、この5年間の僕に課された仕事であった。

ときどき、この作業に関する「中間自己評価」を一人行うのだが、だいたい絶望的な気分になる。学生に探究心が生まれないのは、きっと以下のようないかんともしがたい事情によるのだろう。

1)日本語ができない
最近大学生の日本語力低下についての記事が出ていたが、全国平均と比較して稚内の学生がそれほどひどいとは思わない。しかし絶対的にひどいのはひどい。文章が書けないというのは、自分も人のことはいえないし、仕方がないかなあとは思うが、口語でも、正確に自分の言いたいことを伝える能力がない。なんとも気の毒だ。
そして日本語を操る能力が欠如している結果、テキストの読解力が低下し、友達と議論するときの言葉も正確さを欠き、結果として面白いはずのものを面白いと感じることができなくなってしまっている。
「インプット-アウトプット」の基本動作ができないのは、誰のせいなのか。誰のせいでもいいか。大学に来て、いまさらながら漢字の書き取りもいやだろうけど、そうでもしないと、面白いものが発見できない悲しい4年間が待っているのだから仕方がない。

2)外国語ができない
日本語ができないのに英語ができるはずもないのだけど、英語を使う意欲すら欠いている学生は多い。
中学英語すらあやふやになってしまっているせいなのか、それとも中高で打ちのめされたトラウマなのか。
自動翻訳がこれだけ普及し、和英対照文で読むことができる現代においても、日本語と英語のそれぞれの対応関係すら理解できなければ、ほとんどお手上げということになるのだろう。
そしてこうも窓を閉ざしてしまうことは、すでにして「情報弱者」なのだということに、多くの学生は気がついていない。
学生はネットワーク環境に慣れしたしんでおり、新しいことをやろうとするけれど、新しいことに取り組むということは、少なからず外国語に接する必要があるということだ。P2Pであれ、パブリシティ権であれ、結局は日本語の文献を読むだけでは解決不可能な部分が出てくる。外国で読む意欲を失ってしまっているということがどれだけの損失なのか、散々言っているつもりだけど、どうもやっぱり伝わらない。

3)情報摂取能力
上の二つとも少なからず関係するが、言語の運用能力が足りなければ、文字から得られる情報は少なくなる。
都会にはたくさんの情報がシャワーのようにあふれていて、秋葉原といわず、東京のあちこちを歩き回っているだけで、非言語の情報、短いフレーズでのコピーなど、たいした言語能力がなくとも受動的に情報が入ってくる。それはそれで、商業主義にだまされる危険も増すわけだが、とにかく能動的な行動を必要としない情報摂取活動が保障されている。
田舎ではそうはいかない。それなりの能動的な情報摂取を続ける意思と能力がなければ、たちまち感覚が鈍ってしまう。2)はおろか、1)すらもない学生たちは、情報摂取への意思を持つための能力すら欠いているものもいるのだ。

僕が学生指導のために与えられた時間はごくわずかであり、そこには「単位」という強制装置が働いているがゆえの意識の減退がある。とりあえず出席だけはしておこうという状態。日本語と英語の能力を高めること、新しい問題についてもの情報提供、ブレーンストーミング、これらに検定試験で意欲を持たせる取り組み、卒業研究を仕上げさせる取り組みを加えると、もはや時間外労働にも限界が見える。

大学の機能が破綻しそうなのは、こうやってどんどん敷居を下げていくことにあるのだろうと思うのだが。
「大学では、教師は学生を大人として扱う」ということを、前早稲田総長の奥島先生が言っていたのをよく覚えている。そういうスタンスで7年前にスタートした僕の大学教員生活は、すでに破綻しかかっているわけだ。敷居を下げつづけて、僕に与えられたミッションは、日々不明瞭なものになり続けている。

期待していた今年の4年生が、卒論で惨憺たる状況にあるのを見て、また「中間自己評価」をやってしまった。

「いつまでそこでレベルの低さと格闘してるつもり?」
とは書いていなかったが、NYからのメールには、明らかにそういうニュアンスが含まれていた。
彼が今学んでいること、アメリカで感じていることには、僕がこの場所にいては感じ取れないものが多数含まれており、しかも僕に必要な刺激が多数含まれている。そして、そこに回帰していくために使うべきエネルギーを確保することは、学生のために敷居を下げ、格闘する努力を縮減させることと、決して無関係ではない。しかも最終的には、自分自身の「意思と能力」の問題と、直面せざるを得ない。

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